「やってみるか」と言われたら
覚悟と勇気を持って挑戦し、
自ら道を拓いていきたい。

大学時代のサークル活動から
ラジオDJに
航空関係の仕事をしていた父に憧れて、学生時代は観光や旅行に興味を持っていました。学部は、幅広くビジネスのことを学べる商学部を選びましたが、観光産業学科(現・観光学科)の授業を履修したり、航空・ホテル業界を目指す友人からもいい刺激を受け、総合大学ならではの学びを満喫した4年間でした。大学祭の実行委員会のサークルに所属し、宣伝を担当したことで福岡のマスコミの方々とお話しする機会に恵まれ、ラジオDJのお誘いを受けたんです。レギュラー番組を持ったり、イベントの司会やCMのナレーションを体験し、人と関わることで「世界観が広がることの面白さ」を知りました。そこで学んだことは多く、就職活動や社会に出てからも私を成長させてくれる糧になっています。


前例のないプロジェクトも
1歩1歩前に進めて夢を形に
卒業後は、生まれ育った地元の林業が厳しい状況にあることを知り、林業や地元を盛り上げるために何かできないかと浮羽森林組合に入職しました。林業のことは右も左もわからなかったので、どこにどんな木があるのかということを歩いて調べ、木々の中を歩くことで人体にどんな効果があるのか数値でも出し、「森林セラピー」事業を立ち上げました。福岡県で初の事例ということもあり、大きな反響を呼びました。この仕事で「公務」という仕事の可能性の広さを知り、2010年に縁あって、うきは市に入職しました。ここでも2013年に始まったクルーズトレイン「ななつ星in九州」が通過するエリアとして何かしたいと考え、線路沿いの保育園や畑からみんなで手を振ろうという企画を実施。まちの人と乗客の心をひとつに結び、後に列車内でのデザートに浮羽のフルーツが使われるきっかけをつくりました。どちらの道も平坦な道のりではありませんでしたが、仲間とともに無事にカタチにでき、取り組みは今も続いています。


九産大で学んだ経験を糧に
全国初の大抜擢にも挑戦
そして、市の職員として数年が経った33歳の頃に予想もしない大抜擢が待っていました。なんと群馬県・下仁田町の副町長を任されることになったのです。地方創生を実現するために、若手の国家公務員が副市町村長として派遣される中、私のように市職員が他自治体の副町長として招かれるのは前例がない「日本初」の事例となりました。就任時は日本最年少でしたし、暮らしたこともない地です。自分に務まるか不安でしたが、これまでも前例のない仕事をしてきたじゃないか、と気合を入れて任地に赴きました。
大変なこと、壁はありましたが、乗り越えることができたのは九産大で培った諦めず、挑戦する心のおかげだと思っています。どんな難しい局面でも覚悟と勇気を持つこと、また仲間を大切にすることを教わりました。大学時代に未知の領域に飛び込めるよう支えてもらったこと、今につながる人間力の基盤を築けたことは私にとってかけがえのない財産だったと胸を張っていえます。
九産大スローガン必ず、カタチにしてみせる。
在学中に育ててきた夢を見事に花開かせた先輩方が言う通り、九産大は、夢や目標をカタチにするためのチャンスに満ちています。胸の中に芽生えた想いの種を育てるためには知識や仲間、実践が大切です。
九産大にはそれらすべてと、夢に向かって突き進む学生に寄り添う教職員がいます。先輩たちから受け継がれた九産大の底力を味方にして、夢をカタチにしてください。

