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御用絵師

御用絵師

ゴヨウエシ

近代以前、画家は朝廷や幕府、大名あるいは寺社に所属して、依頼によって絵を制作した。朝廷の絵師は絵所預かりという絵師の職を得た。幕府や大名、寺社の絵師は法橋、法眼、法印などの僧号位を与えられ、所領や俸禄を得た。江戸時代狩野派の奥絵師、例えば狩野探幽で二百石の禄であった。これは旗本待遇で、肖像描きの際、将軍に直接会う必要があるためであったらしい。同じころ薩摩藩の木村探元は五百石、筑前福岡藩の狩野昌運は三百五十石など地方の大藩で高い俸禄で絵師を抱えたことも知られる。