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気まぐれ日記
2006年1月20日(金)
センター試験が近づくと寒くなりますね

本日は、院生のみんなと、リスニング勉強会をいたしました。
テキストは、アン・ワイザー・コーネルの「フォーカシング・ニュー・マニュアル」(2005)を使いました。
ご参加の皆さんありがとう。
英語を日本語に訳した教示は、そのまま面接に使うと不自然な部分があり、
工夫を必要としますから、かえって、自分なりの教示を見つけるという勉強になるかも‥と思いました。
内容も深いですし。


一点だけ。
長年フォーカシングで「リスナー」と呼んできた聴き手を、
その新しい本で、「コンパニオン」と呼び方変更してるのは、いかがなものかと‥。
日本では、やめときましょうよ、その呼び名‥。
瞬時に、「え、私、スタイル良くないし」って思っちゃうから。
ていうか、「リスナー」という呼称が好きです、私は。



学部の方へ。
23日(月)、精神保健論Bの試験ですね。
そのうち、記述式の問題は一問。
心身症以下のこころの不調の中からどれか一つ、家族としてどう接するか、という問題を出すというアナウンスをしました。

すると、「心身症への家族の対応」は、ノートにもプリントにも載ってないけど‥という声をいただきました。
心身症については、確かに、家族としての対応は直接教えてませんけど、心身症の授業を総合すれば、書けるはずです。
でもまあ、私は、あまり難しいものは出しませんと予告しましたから、
ノート、プリントに載っていないものは出しません。
この文章の結論、分かりますね?
では月曜日、検討を祈ります。
もしかしたら、私のはちょっと問題数が多いかも‥
他の先生の試験監督をしていて、そう思いました。
時間配分に気をつけてください。
記述式は、要点を押さえておけばいいです。
字数が多くなくても合格するという意味です。

2006年1月16日(月)
本日

からだとこころの健康法入門」本日第一週目、終了しました。
ご参加くださった皆様、どうもありがとうございました。
それぞれの方の、その日のかんじになるべくあわせて、やっていけたらと思っています。

2006年1月16日(月)
うちには、来客用のキャットフードがあります。

帰宅すると、棟のロビーに他所の飼い猫がいる。
シローちゃんという年取った猫は、
「にゃーん」と呼ぶと、力の抜けた声で「なーお」と返事してくれる。
気が向いたらそのまま、うちに遊びにくる。
少しえさを食べて、家の中を見て回って、すぐ帰っていく。

そのシローちゃんが、なかなか帰らず、もそ、もそと寄って来て、、、
膝の上に乗ってくれた(約10分間)。
し・あ・わ・せ〜
これで一週間生きていけるわ〜

2006年1月13日(金)
今日は13日の金曜日ですね

(1月7に書いた)「催眠療法体験記(3)」を読んだ夫が、「(スピリチュアリティの)意味が自分には分からんかったけど、感じが、筒井康隆の小説に似とる。」と言った。
「一番似とるのは、これやね」
と、本棚から、「驚愕の荒野」という短編を出してきた。
「すぐ読めるけん。」
‥。

確かにすぐ読めましたけどね。

そこは地獄で、ろくな生涯ではなくて、そのせいで畜生度みたいなのが増して、輪廻転生のたびに地獄のなかをさらに下へ、下へと落ちていく。その運命に登場人物たちがだんだんと気付いてくる。
という話しでした。

私、逆の方向性のことを書いたつもりだったんですけど(^^;)。

それはいいとして、筒井康隆の小説を読むたびに、不思議に思うことがある。
必ず失禁シーンがあるはなぜだろう。
「股間が生暖かくなり‥」などと書いてあると、「ああ、そろそろ盛り上がるな」と思い、その回数が増すと「ああ、ついにクライマックスだ」と分かる。
この巨匠、筒井康隆における失禁の意義について、文学の人達は、何か研究しているのだろうか?

ということで、「筒井康隆」「失禁」と入力し、インターネットで検索してみたが、なかなか研究のサイトには行き当たらない。
というのも、筒井康隆のファンの人は、失禁という言葉が好きみたいで、「筒井康隆の○○、まじ面白い、失禁覚悟」とか、「時をかける少女には失禁がなくてつまらない」等とブログに書いてるので、そういうのがいっぱい出てくる。

同じ階の研究室に日本文学の先生はおられるけど、物静かそうなので、尋ねるのにはよほどの勇気が要りそうだ。

2006年1月7日(土)
まだ、期末試験はありますが

今から、本年度最後の授業に行って来ます。

さて、1年以上放置していた「何でも体験記」のページに、催眠療法体験記(3)をupしました。
今回は、スピリチュアリティのことを含めて書いてみようと思い立ちましたので、長文になりました。まだたぶん、じゅうぶんに理解できているとはいえないヒヨコですが、つかんだ範囲のことを書きました。

2006年1月4日(水)
その街は

年末は、東京に遊びにいった。
夫は、いそいそとしていた。
いつもながら、早口で聞き取れないほどの説明を加えながら、人ごみの中、私の手を引き、迷わずある店に到達した。
人が並んでいた。
「ここは、『おかえりなさいませ』とは言わないとこだからね」と夫は言った。
「(漫画の)『エマ』みたいな(英国風の)ところだからね」とも言った。
長い裾の服を着たメイドさんが、注文を取りに来た。
おいしかった。
「福岡のはどうして食事がつまらんかね。」「メイドさんは福岡のほうが綺麗やけどね」と夫は次々と注釈を加えていった。

周りの人がしゃべっている。
駅伝オタクの方や、アニメオタクの方、その他何か私には分からない分野のマニアの方がいるようだった。

こ、これは‥。
この喋り方は‥。

夫みたいな人間が、ここにはこんなに沢山いるのか。

店を出るとき、夫が、店の「スタンプカード」を作ったのを私は見逃さなかった。

ここ、東京なんですけど!!

私「カード作ってどうするとよ。」
夫「いいやん。また来るけん。」

その後私たちは、メイド美容室で髪を切ろうとしたが、6時間待ちと言われ諦めた。
人があふれていた。

その街はアキハバラ。

まあ、私的には、そこにいる方々、らくに友達になれそうではありました。

2006年1月4日(水)
迎春

あけましておめでとうございます。
ことしもよろしくお願いいたします。
皆様のご多幸を祈ります。
良い世の中でありますように。

2005年12月27日(火)
立場
連日、テレビなどで、「犯罪被害者を実名・匿名のどちらで報道するか」という問題−つまり、被害者の実名、匿名報道の判断が今後警察に事実上委られるということに関し、その是非、(というかほとんど反対意見)が報道されてきた。

上記項目が含まれる「犯罪被害者基本計画」は、27日の閣議で決定されたものだ。

 その全体像は‥
 
 「重点課題に〈1〉損害回復・経済的支援〈2〉精神的・身体的被害の回復・防止〈3〉刑事手続きへの関与拡充〈4〉支援のための体制整備〈5〉国民の理解の増進と配慮・協力の確保――の五つを挙げ、計258項目(40項目は各重点課題で重複)の施策を盛り込んだ。
 
 被害者らの公営住宅への優先入居、被害者団体などのための専用サイト開設など、212の施策には直ちに取り組む。(以下略)」
(読売新聞  12月27日のwebsiteによる)


とのこと。

 つまり、この基本計画は極めて包括的なものである。
 然るに、同基本計画ついての報道は、おそらく(5)の下位項目にあたると思われる部分の、「被害者の実名・匿名報道の判断が警察にゆだねられること」に関する論議に偏っている。まるで、「オーストラリア大陸だけ写真に撮って地球を議論しているようなもの」だ。
 
 例えば12月27日付西日本新聞では、一面のトップ記事に、上記の概要が数行に渡って書かれたあとは、「実名・匿名報道」のくだりが延々と続く。
 さらに「実名・匿名報道」についての特集記事が2ページに亙って組まれ、「人権と真実 共存目指し」とか、「実名なき社会に危機感」「警察任せに危うさ」といった文字が躍る。

 3名の被害者遺族の方のインタビューが掲載されているが、見出しが不自然だ。
  高橋さんのインタビューに対する見出し‥「報道と信頼関係築く」
  松村さんのインタビューに対する見出し‥「選択の権利 被害者に」
  本村さんのインタビューに対する見出し‥「捜査当局独占に反対」

 松村さんに対する見出しは順当だが、あとのお二方の見出しが内容に合っていない気がするのは私だけだろうか。特に、本村さんは、松村さん同様、報道問題における被害者の主権について言いたいのだと思う。
 
 こう言っては何だが、インタビュー記事の本文だってそのまま信用できない。
 しばしばマスコミの取材を受けたことのある人は感じることと思うが、記事というものは、得てして、本人の言ったこととは違うニュアンスが載るものだ。
 主張をはっきりさせなければ記事にならないし、もともと取材に来るということは求められている主張があって、その引用文献にみたいな扱いで取材があるのだから、「ちょっとニュアンスが違うんだけど‥」となるのは、ある程度致し方ない。(新聞に何度もコメントをしておられるご遺族の方は、そのへんをご承知で、多少のフィルターを通してでも伝えたほうがよいという意志で、取材を受けておられると想像する。)
 ある程度なら、いい。
 けれど、これほど報道の立場が偏っている問題なると、きちんとインタビューのとおりのことばが掲載されているのか自体、クエスチョンマークをつけて考えたほうがいいと思う。

 そのほか、コメントを寄せている識者も、マスコミ寄りの人が選定されている。

 もともと、同基本計画の検討会は「犯罪被害者を含む15名」だったわけで、同基本計画のような方向性を望んだ被害者がいるということは明らかだ。そちら側の意見「も」、天秤のようにバランスよく、報道すべきである。
 
 まあ、でも、マスコミはこの件に関して著しく利害が絡む「当事者」なのだから、公平な報道を期待するほうが間違っているだろう。

 私たち世の中の者は、この件に関し、惑わされずに、「それぞれの被害者のほんとうの思いはどこにあるのか」を、考え続けていくことが必要とされているのではないだろうか。
 
 私個人が想像するところでは、被害者にとっては、実名・匿名報道より、「刑事裁判に直接関与できる制度」「加害者に代わって国が損害賠償金を立て替え払いする制度」などのほうが、関心が高いのではと思う。
 今現在、犯罪被害者がどんな現状にあり、精神的・経済的被害回復がいかに立ち遅れていたから、このような制度が出てきたのか。を、あらためて報道してほしい。
 願わくば、報道を間に挟まない、シンポジウム
などの形で、被害者の方の考えを聞く機会があれば、と思う。
2005年12月22日(木)
経過報告

お騒がせしております。
○披露宴の曲は、もう、行っちゃえ、ということで「ハナミズキ」に決めました。
ちょうどオカリナの、広いとはいえない音域でもOKですし。メロディー的に、やはり、良いので‥。

○無くなった帽子は、まだ見つかりません。どこからかひょっこり現れるといいなあ。
プラス、手袋を片方、無くしました。

2005年12月19日(月)
両立

不倫の話を、聞いた。(注:カウンセリングの中で、ではない)
どちらも、離婚をする気は全くないとのことだった。
双方の配偶者のことを考えたら、今の関係を断ち切らなければ‥と思うが、なかなかできない」という話だった。

わたしたち人間は、
ちいさい頃から母親・父親・祖父母に親しみ、
「友達は大勢いたほうがいい」と教わり、
そして実際数えてみればけっこうな数の友達とつきあい、
親になれば何人かの子どもを育て、
学校の先生は毎年30、40名前後の児童生徒を抱え、
カウンセラーであれば5名、15名、25名、人によっては週に50名といったクライエントを担当してそれぞれこころを注ぐ。

ぜんぶ同時並行だ。

パートナーに関してのみ、「一人に限る」というルールになっているのは、人間の自然に反することのように思える。
「本気で愛せるのは一人だけ」という考えは、愛情神話、みたいなものではないかと‥。

ただ、私は、どんどん行けと言いたいわけではない。
たとえ、いろいろな事情で、こころで愛し合う関係が形の上で成就しなかったとしても、「めちゃめちゃ気の毒だ」とは思わない。
なぜならきっと、今の関係の中にもう、すべてが含まれているだろうから。
相手と添い遂げたらきっとこうなるだろうな‥という想像のなかに、
実際に添い遂げる場合の幸福な感触は、味わうことができる。
それが、代わりの効かない体験であればあるほど、
そう思えるような人に出会えたことを、感謝せずにはいられないだろうから‥。

2005年12月13日(火)
求む 結婚式ソング

ここ1、2年、世間では結婚式ソング不作だと思う。
義弟の結婚式にオカリナで吹く曲を探さなければいけない。
もう一人の義弟のときと同じ曲(らいおんハート)というわけにはいかない。
一青 窈の「ハナミズキ」を、あきらめきれない。
あのメロディーは、オカリナにぴったりだ。
オカリナでハモルと、良過ぎてたいへんなことになるだろう。
歌詞的に、まずいかなあ。

友達の立場ならば、まずいだろうが、
親族として吹くぶんには
全くアウトでもない気がするのは、‥気のせいかなあ。

このごろ抽象的な歌詞の歌が多くて、
結婚式に「ふさわしい」か「ふさわしくない」か、すぐに分からなかったりするんだよなあ。

2005年12月12日(月)
「もう大丈夫だよ」(といえる社会でありたい)

「福岡市で11月、福岡県警博多署に保護された同市内の少女(18)が、生まれてからほとんど外出を許されず、義務教育も受けないまま育てられたことがわかった。」

よくぞ逃げてきた!!
がんばった!!
えらい!!

2005年12月6日(火)
現職って‥

「今のオシゴト適職度チェック」というのをしてみた。
http://ttn.biglobe.ne.jp/
大学教授 54%     ←ダメじゃん
カウンセラーだと94%

ていうか、このテストでは上記の二つの職業はかなり適正が異なる、と考えられているわけね。
‥まあ、そうかもねえ。自分、明らかに頭悪いと思うし。(あ、性格もドッコイドッコイかも。どうしよう)

2005年12月5日(月)
タッタカタ〜

メールのシステムを、「アウトルックエクスプレス」から、「サンダーバード」に変えた。
サンダーバードのアイコンが、しじゅう、パソコンのデスクトップ上にあり、
メールを見るときには、当然のことながらそれをクリックする。
そのたびに、頭の中であの曲が流れてしまう。
「サンダーバード」は、中学高校でさんざん吹いた曲だ。
いや、それがプロの演奏ならいいが、なんせ、思い出すのは自分たちの音だ。
疲れきった夕暮れ、狭い部室にひしめき合って吹いた合奏。
自分のあまりうまくないテナーサックス、真横からトロンボーン、右後ろのユーフォ、真後ろのバリ・サクのでかいブレスと4分音符のキザミ、右斜め前方のトランペットが最初に対旋律で入ってくるときの♭Eがいつも高めなんだよな〜、でもそういう自分も♭Aがいつも低いのさ〜、なんて、下手なりに気持ちよく吹いている私たちの合奏は、いつまでも続くわけでなく、ふいに、学生指揮が指揮台をコンコン叩くのを合図に空に散っていく。そしてもいちど最初から‥。

ああ、今ならもっと、「丘を登っていくと背後から風が吹いてきて、顔を上げたら急に視界が広がってサンダーバードが見えた」みたいに吹くのにな。


辛い、これは辛い。
一日二日ならいいけど、これから年単位で、毎日毎日、頭の中を、鳴り響いていくような予感がする。
同じ症状にもだえている人はけっこう多いのではないかと思いつつ‥。

2005年11月28日(月)
落し物

さんざんかぶり倒している愛用の帽子を、失くしてしまった。
バスの営業所に問い合わせたが、届いていないという。
でも、どこかで見つかるのではないかとまだ期待している。私はけっこう、落し物があとで見つかるという経験をしている。

印象に残った落し物
1 若い頃、臨床心理士の試験を5,6人で受けに行き、飛行機のチケットを私が全員ぶん手配して持っていたのだが、その、帰りのチケットをすべて失くしてしまった。
羽田空港の職員さんが拾ってくださっていたことが後日分かり、全額戻ってきた。感謝。
2 
朝、九産大に来るバスの中で赤いマフラーを落とした。でも、自分はそれに気付いていなかった。その夜、帰りのバスに乗ったら、座席の足元に自分のマフラーが横たわっていたのでびっくりした。
やはり、座る場所を固定しておいてよかった、と思った。(あ、そういう問題ではないか‥)。

まだまだあるが、多すぎて書けない。
帽子が見つかったらいいなあ。

2005年11月21日(月)
そういう人が有意に多いのではと思いました

土日は、地方入試と言うことで、広島で試験監督や面接員をした。
地方入試というのは、不正入試防止のためか、チーム行動をしなければならないので、けっこう、お話しをする時間があった。
他学部の先生たちが、健康と環境のためになさっている行動は、「8階の研究室まで(階段を)上がってます」「先生もですか、僕は9階まで上がってます」「まあ晩御飯を控えて、昼もパン一個でね、コーンスープを飲んだり飲まなかったりやね」「毎朝一リットルの水を飲みます。クレンジングのためです。年に3回断食します。」などと、ハンパではなく、驚いたりした。

2005年11月18日(金)
変わらないもの、変わるもの

木曜日は、臨床心理学科2年生を病院見学に連れて行った。
野添病院は、治療システムや建物に気を遣っている、著名な精神病院だ。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~nozoe/
くじ引きで、生徒は10人の小クラスに分かれ、教員が1人ずつ付いた。
私は受け持ちのクラスに対して、見学に行く前の授業で、迷いつつも一応、それを話しておくことにした。
「最後に、感想をお話しする座談会がありますからね。一人一つは質問を思いつくように、よく見学しましょうね。それからね、一応言っておきますけどね。わざわざ見せていただくんですからね。場をわきまえて、今から私が言うような感じの感想は、言わないように」。
私は彼らと同じ年のとき施設見学等をして、この不遜性格のせいで我知らず失礼の限りを尽くし、自分がしたコメントによって場が固まった日のことを話した。
昔話をしながら学生の顔を見て、(でも、ここに来ている皆は大丈夫だな。言うとしたら、今日来てない彼だな)と頭の隅で思った。

そして病院見学は着々と進み、座談会の時間、職員の先生方と学生とが輪になった。一人一人話していく中で、私の真横に座っていたその彼は口を開いた。
‥‥
オイオイ。

彼の発言は、私が若いころ場を固まらせた発言と、まったく同じ内容だった。
(いや、ただ、彼にしてみれば見たままに、患者さんの表情が固くて不自然に思った、ということを、唐突に述べたにすぎないが‥まあ、でも、わざわざ見学で見せてもらって一言だけ感想言うときに話す内容ではないかな、と‥)。


私は小さくなりながら、こころの横半分で、昔の自分を見ているように感じ、いつの時代もこういう奴はいるのだろうな、と思った。
こいつがそれを言うんじゃなかと予見していながら自由にさせておいた自分の甘さは、昔から変わらない。
そして、そういう彼が卒業して働く立場になれば、けっこう視点の数が増えたりする、それも、いつの時代も、繰り返されていることなのかもしれない。

ところで、今回の病院見学では、「変えれないと思っていたこと」が、実は、「変えうるもの」だったんだと、思い知らされた。

どの角度に目をやっても美しい治療環境。特に、全く異臭のしない、居心地のよい保護室。
「病院」と、「退院後の生活」・「就労」との間が極めて段階的になっていること。
よって、「力はあるんだけど家に帰せない、働くにはまだ無理」と、足踏みさせるということがないこと。

今までは、患者さんがすぐに退院したいとか、すぐに働くとか言わなくなることが、「障害の受容」と言われ、患者さんが成長したといわれてきた、そういう患者像だったのが、なりたい生活スタイルへ、なりたい自己像へ、階段を登るように、引っ張っていくのが治療だという強い信念‥。

この病院が特に先進的とはいえ、こういう治療像になっていくとは、思っていなかった。

「自分も入院したい」と言う学生達をバスに追い込んで、帰路についた。

2005年11月18日(金)
やっと‥
友人によると、抗生物質の薬品名の末尾についている数字が、抗生物質の強さを表すという(それに気付いた友人もすごいが‥)。
「50」から始まった抗生物質が、今週の水曜日に、「200」なる数字の抗生物質に変わり、格段によくなってきた。
やれやれ、これで咳とももうすぐおさらば‥。

今週は、火曜日に福岡市男女共同参画センターアミカスで、「配偶者からの暴力被害支援基礎セミナー」なるものが開催され、西日本各地から、DV被害者支援の現場で働く人が集まっていたので、お手伝いのスタッフとして参加した。
感じたことは、それぞれの機関によってできること、最良と思われることを、しようとしていて、それぞれが微妙に違うから、よかったりするのだろうな、ということだった。
講師の、竹下小夜子先生(その道の人はよく知っている、沖縄県の有名なDR)は、この仕事をしてから、「よほど気力が充実しているときでないと友人に会わないようになった」と話されていた。
トップシークレットで、話してはならない秘密を聞く仕事だから、「同じ医者であれば、守秘義務を持つ専門家同士ということで、話してもよいだろう、と気の緩むようなところには行かない」ということだった。
複数の臨床家がいる機関であれば、共有できるが、医師はたいてい一人職場だ。それも、「専門の医師」となると、ぜったいに秘密にしなければならないような性質の仕事がくるという。
あらためて、厳しい仕事だなと感じた。
2005年11月8日(火)
もとい

今までよりも強い薬を使って、少し、咳は収まった。
これは、薬の力だ。
まあ、焦っても仕方ないから、今日も呼吸法にいそしむべし‥。

下に書いたことは、その後、もうちょっと、分かりました。

の自信過剰めいた思想、これは本気だけど、
それを攻撃的に言ったり書いたり、他を低く言ったりすることは、全く私の本意ではない、というわけですね。

自分だけができる、という状態を、目指してなんかいない

フォーカシングは、「みんなが使えるマジック」なのだから。

2005年11月4日(金)
めずらしく1日2回
日記を更新しているのは、今、学園祭で休みなんで、、
家にパソコンを持って返ってきているからなのでありますが。
まあ、それだけの理由じゃないよね‥。

ええ、ええ、ええ、
分かりましたさ。
気管支を悪くした原因が。
科研の書類でウソを書いたからではありませんね。
その逆ですね。

言い慣れないこと言った居心地悪さがあるというだけのことで、
科研の書類に書いたこと自体は全部、本気ですね。

そう、どうせ私は思ってますともさ。
「私ぐらいになると、治せるはずだから、金をくれ」。

いや、違う。
もっとシンプルに、
「私は、治せるから、金をくれ」だ。

不遜は死ぬまで治りません。
もう、思ってることをごまかすのはやめました。
だから気管支炎は治ってほしい。
気管支さん今までごめん。
合掌。
2005年11月4日(金)
気管支の言い分

一旦悪くなると、少なくとも1ヶ月は、悪いままになり、咳などで周囲に迷惑をかけてしまう。
いつまでも(10年以上)この、同じ持病を持っているということは、フォーカシングをする者として説得力がなさすぎるので、

気管支についてのフォーカシングを試みた。

11月3日朝方 #1
(気管支の今の感じを感じてみる)
気管支の内側が赤く腫れている。
しかし肺は思ったより健康で気持ちがいい。
気管支周辺に、意外と、気持ちのいい時間・気持ちのいい部分もあることを感じ、感謝の気持ちが出てくる。

(どうしたら楽になるかを見つける)
ゆっくり息を吸い、ゆっくり息を吐くと少し楽。
空気が薄いところに住む宇宙人のように、
肩幅が広く両肺が逆三角形の形をしていて、たくさん空気を吸えるという
体の状態をイメージすると少し楽。

この日は、たいした変化なし。

11月4日朝方 #2
(気管支の今の感じを感じてみる)
気管支の内側が赤く腫れている。

気管支が、「自分の仕事は ただ空気を通すだけ。
内側が腫れていても触ってくれるものもない。
孤独」と言っているような気がする。
気管支としての自己実現を求めているような(?!)

そのまま、「気管支としての自己実現」という言葉を心に思い浮かべていると、
吸う息がゆっくり、吐く息もゆっくりになってくる。
やはりそうする方が少し楽。
一定の勾配の山を昇るように
吸う息のスピードを一定にし、気管支を意識しながらそよ風のように静かに息を通し、
吐く息もそれと同じようにすると良い。

(今後どのように生活したらいいか、気管支に尋ねる)
「咳が出ることを、失敗と考えるな。咳は、必要があって出る」との返事が返ってくる。
→今後は、咳が出ることによってどのように気持ちがよくなったかに注意を向けることにする。
もう一つ、「焦るな」との言葉が浮かんでくる。
→これは生き方全般、ものの考え方についてのことのように思われる。
ゆっくり吸い、ゆっくり吐くというペースを、生き方にも反映させることを気管支は求めているようだ、と感じる。

そこで、気管支に感謝し、今後そのようにしてみる、と伝える。
気管支が気管支としての自己実現をしたようで、気が済んだ部分があるように感じられる。

一段落したので、
もう一つ、気管支炎の遠因になったと思われる、「不眠」について、フォーカシングしてみることにする。
これについては、からだのどこに尋ねたらいいか分からないので、自分の中に「不眠の神様」がいると想定して、質問してみることにする。
白い着物を着た爺さん。
その、不眠の神様に、「どうしたらいいですか」と尋ねる。
返事が返ってこない。
どうやら、不眠の神様は、就寝中のようだ。
この不眠は、不眠の神様が意図して引き起こした不眠ではないようだ。
ここで、自分自身のぶしつけな態度に気付く。
寝ている時間に質問しようとするような、自分の早急なやり方。
眠れなければ脳をもうちょと起こして考え事をしてしまうといった、自分の態度。

不眠の神様が横になって眠っている。
それをイメージの中で見ていたら、いつのまにか自分も寝ていた。

‥‥で、その後。ずいぶん楽になった気がする!
だいぶ、気管支とのつきあい方が分かったかも‥。

2005年11月2日(水)
萌芽研究

すっかり、気管支を悪くしてしまった。
先週、科研の申請(注)の書類書きのため、無理をしたせいだ。
科研というものは、夢のある新しい研究に与えられるから、
この、科研の申請の時期には、
日頃つつましやかな学者達も、通常の人格とは異なる面を前面に出すことになる。

ウソはいかん、ウソはやはり体に悪い。

あ、いやいや、まるきりウソでもないが。

「私ぐらいになると、フォーカシングで、身体の難病を持つ人を回復に近づけることができる、それをリサーチして実証もできる、だから私に金をくれ」と書いたのは、、、、ハッタリ、、、ではあるか、、やはり、、、

しかし、この、持病の気管支炎をフォーカシングで治せれば、まんざらハッタリでもないという証明のちいさな一歩になるだろう。

(注釈)‥「科研の申請」
年に一度、科学研究費の申請を行うこと。
申請すると、1割から2割強の確率で研究費がいただけるというもの。

2005年10月29日(土)
純粋であるということ

間もなく大学院生と、学部生のトライアル・カウンセリングが始まるということで、院生には話の聴き方というものを、マニュアルみたいに、いま一度勉強させたほうがいいのではないかという声が、どこからか聴こえた。
M山先生は、「なんでそんな話になるかなあ。」と言い、今週の面接特論の授業は、1時間にわたり、そのあたりのお話をなさった。
「これ、一応、ラップマニュアルだけどね(ジェンドリンのマニュアル)、ほしい人はコピーして。これはいいですよ。こっちの感覚をどう使うかってことが書いてあるからね。でもね、読んだら忘れるんだよ。マニュアルチックな応答は、冷たいですよ。かっこつけないで、こっちが、『緊張してるんだ』とかいう、その時の話したらいいじゃないですか。それしかないじゃないですか」に始まった、一時間の話は、九大時代から学生がなんべんも、聞いてきた話だった。
「それとね、クライエントと会うときは、心にスペースをつくらんとあかんから、30分前に相談室に行って、静かにしてないといけないよ」
「失敗したっていいんだよ、失敗でも成功でも、ぜんぶ生きてくるんだから」
横で聞いていると、それは、非常に系統だった、ジェニュイネス(純粋性)についての講義だった。
つまり、セラピストが正直であることによって、いかにしてクライエントの安全を守るか。に関する講義だった。
一生それでやっていけるというぐらいに、面接のいろいろな局面におけるジェニュイネスの在り方が語られていた。



*お知らせ

小グループによるフォーカシング学習会として、
第一回体験講座『からだとこころの健康法入門』を開催します。
お誘いを、掲載しております。

「フォーカシング」のページからご覧ください。

2005年10月26日(水)
知的財産は共有しましょう

このホームページに、アクセス解析というのをつけさせていただき、
何のキーワードで検索されているか、分かるようになっていて、
うちのトップが「フォーカシング」、二番目が「とげの抜き方」だ、ということは
以前にも書いた。
この、「とげの抜き方」の検索に関して、いろいろなオプションがある。
「とげ 親指 抜き方」
「とげ 机 角 刺さった 抜き方」といったキーワードで検索して、このホームページにいらしているのを見ると、
その方々の体験が偲ばれる。

けっこうあるのが、
「うに とげ 抜き方」という検索だ。
うにのとげが刺さったということだろう。
その方々には悪いが、少し、うらやましい気もする。

うちのホームページには、うにのとげの抜き方は、書いていないので、
どなたか、うにのとげが刺さって、その後、うまく抜けたという方は、
どこぞのブログにでも書いていただけたら、
きっと、助かる人が多いと思う。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

2005年10月17日(月)
どうぞご自由に、みたいな

毎月1回、フォーカシングの自主研究会(というか、寄り合い)に加わっている。
活動場所の美術館のロビーが、今月は展示品でいっぱいだったので、午後は、寺に行ってみることにした。
東長寺。
博多区祇園町バス停そばの、大きなお寺。
大仏はこちら、と書いてあるので、入ってみると、どでかい大仏が鎮座していた。「日本一の木造大仏座像」だそうな(知らなかった!)。
その大仏の裏側は、「地獄、天国への道」があった。地獄絵の数々が並んでおり、テープの解説が流れていた。地獄が終わると、まっくらな道をうねうねと通って、天国へと出た。(地獄は立派だったが、天国はやや、しょぼかった。)


さて、寺には本堂というものがある。本堂の入り口を開け放してあったので、入ってみると、何十畳もあって、天井が高かった。
仏壇と、その周囲の装飾は、手が込んでいて、いくら見ても見飽きなかった。
ずっと居ても構わない雰囲気だったので、わたしたちは、ただ座って時を過ごした。
静かだった。
時折、外国人の観光客が来て写真を撮っていった。
本堂の中から外を見ると、表通りが、まったく別世界に見えた。

本堂を開放している寺と、そうでない寺があるそうだが、
開放してある寺というのが、こうまで出入り自由だとは知らなかった。
寺は、意外と、今の日本の中ではありそうで中々無い、「自由なスペース」なのだな、と思った。

2005年10月12日(水)
ご無沙汰してました。

おそろしく日記も滞ってしまっている今日この頃。
学期初めにくわえ、学外機関での講話もあり、忙しくしていた。
先週末からは、北海道で、「日本フォーカシング協会」の年一度の集まりに出て、昨日帰ってきた。
最終日、飛行機の搭乗口まで来たところで、時間を2時間も間違えていたことに気付いた。
仕方ないので、千歳の町まで引き返してみた。
ふだん、髪を切る時間がないので、店を探して、「30分でお願いします」と言って、切ってもらった。
すると、どういうわけか、なんとなく北海道の人のような髪型になった。
博多よりも少し、素朴系のような気がする。
自分には、こちらの感じのほうがよいような気がした。
昨日まで北海道に居たとは思えない日常が再び流れていく中、「旅の思い出」が、常に自分と共にある。

旅先で髪を切るのは悪くないなと思った。

2005年9月26日(月)
むしろ矢印は好きな森川です

連休3日間は、九州大学で行われた「人間性心理学会」の裏方をした。
初日、道案内の矢印を持って門の前に立っていると、遠くのほうから知り合いの人達が歩いてきて、それをひとりひとり出迎えることができ、面白かった。
こぢんまりした学会は、盛況だった。
仲間的だが馴れ合いということもなかった。
精妙で、楽しげな空気があった。

ところで、学会の裏方をする場合、私は気がつけば毎回、会場係のたぐいだ。
矢印を持ってたり、椅子を運んだり机を整えたりごみを拾ったりするわけだ。
自分で希望するわけではなく、なんとなくそういうことになっていく。
こんだけ学会があるのに、一度も「受付」や「クローク」や「接待」になったことがない私は、女としてどうなんだろう。
たぶん、「少々がさつ」だと思われているに違いない。
まあ、自分でも「受付」や「クローク」や「接待」をしたいとは思わないが‥(屋内でじっとしているのには耐えられないからね‥)。

なんて、自分の印象について思い巡らしたりしているのは、今日が学部の、主だった授業の、第一日目だからだ。
教員というのは、毎期、第一回目の授業は、どういう雰囲気のクラスになるんだろうと、意外と、緊張するものだ。
学生の目に映る第一印象に、驚かされることもある。
いつぞやの学期、100人ぐらいのクラスに入っていくと、さざ波のようなざわめきがおき、「エー森川と‥カウンセリングの‥」と話し始めるころには、「じょ」とか「ま」とかいうひそひそ声が存在し、もっとよく聴くと、「まじょ」という音が聞こえた。
イヤ、魔法は使えませんから(笑)。
私は、ちょっと暗いかもしれんけど、怖くはないからね。
今日の第一印象はどうだったのだろうか。
私の側の第一印象は、

精神保健論の授業は、イメージワークをするときに皆さんが協力的で、これからもちゃんとこういう授業ができそうです。
教職総合演習は、今日手始めに、「○○が好きな私です」というワークをしましたが、エンカウンターの授業は、やっぱり楽しいと思いました。
よろしく。

2005年9月18日(日)
四柱推命

フォーカシング研究会の一人がが、気学?とかいうものに行っているというので、おもしろがって、みんなでついていって、見てもらった。
福岡市、唐人町の駅を降りて、10分ふんほど歩いたマンションの一室。
生年月日を書いて、「先生」の前に座ると、漢字がいろいろ書かれたチャートを作られる。それをもとに性格、人生のだいたいの傾向、近未来の運勢、気をつけるべきことなどを言われる。

「えー。まじめな方ですね。取り越し苦労をするほうですね。(人生は楽に考えて吉、と紙に書かれる)」
そうですかね〜。

「お金には、まずまず困らないようですね。」
そうだといいんですけけどね。ていうか私のチャートには金に関する字ばっかり、書いてあるようなんですが。他にないんですか。

「もし男の子が生まれたら、甘やかして駄目男にしますから、気をつけましょうね。」そそそそうですか。

「この紙にも、性格や、ためになることが書いてありますから、読んでおいてください」

えーなになに。
<積極的ではないが消極的というほどでもない。自分で何か興すよりも、上の人か下の人に、積極的な人がいる環境が良いでしょう>
<他の人がするような仕事は、できないから、やらないほうがよい。習得するのに時間がかかるような仕事をするほうがよい>
<「けちの傾向がある>
<愛想がなく、人間関係が苦手で、苦労するでしょう>

‥失敬な(笑)。
でも当たってるかも。

自分のチャートを持ち帰り、再相談のときには持ってくるようにと言われ、よく見ると、「死」、「劫財」などという、不吉っぽい字が並んでいる。
東洋の占いは、この、ミもフタもなさが面白い。そう思った。
で、それらの文字が何を意味するのか気になって、インターネットでめちゃめちゃ調べてしまった。
四柱推命というもののようだ。
興味がおありの方は、

http://www.koufuku.ne.jp/suimeiexp.htm
ここで結果を出して、

http://www20.0038.net/~thkthk1/
さらにここの説明も読むと、けっこう詳しい結果まで出てくると思います。

2005年9月12日(月)
タピオカ レシピ(レシピというほどのものではないが‥)
土曜日の3時。ふと、「そういえば、前に、アジアマンス(という福岡市のイベント)で乾燥タピオカを一袋、買ってきてたなあ」と思い出した。
せっかく思い出したので、タピオカをゆでることにした。
袋の後ろをみると、「白くなくなるまで、1時間半ほどゆでる」と書いてある。
そんなに時間がかかるのか。
まあいいか。うちには魔法瓶ならぬ「魔法鍋」があるから長時間ゆでるのは楽勝だ。
ぜんぶゆでて、あまったら冷凍しちゃえ。
ザーー。
グツグツグツ。
その間に、インターネットで、ゆでたあとの食べ方を検索。
‥すると私の知らなかったことが。

○ 「ゆで時間は、15〜20分です」(私の買ったタピオカが1時間半かかるのは、「大粒」だったため)。
○ 「ココナツタピオカがおいしいです」(ココナツパウダーなんて家にないよ〜)。
そして、
○ ゆでて冷水に取り、洗ったら、なるべく早く食べてください。時間が経つにつれ風味が落ちます。冷蔵庫に入れることは禁物です。

‥‥。

おそるおそる鍋をのぞくと、大きくふくれあがったタピオカ、ちょうど、カップ2、3倍の米を炊いたときぐらいの分量がある。
ゆでる前は直径2ミリぐらいだったのが、10mmぐらいの丸玉になっている。

あわてて、冷凍ができるかどうかを書いてあるサイトを探したが、見つけることができない(というのも、「冷凍」「タピオカ」で検索すると、最初から冷凍で売っているタピオカを解凍する方法が出てきてしまう。)


透明なイクラのようなタピオカの山。
仕方がないので、できるだけ食べてみました。

1)こしあんまぶし
これは美味です。

2)はちみつ
可能ですが、べつに、お勧めしません。白玉にはちみつをかけたものをおいしいと思う方は、おいしいかもしれません。

3)黒砂糖水
黒砂糖を適当な分量の湯に溶かし、さましたものに、タピオカを入れて食べる。まあまあ美味です。普通のタピオカならこれで十分おいしいでしょうが、大粒の場合は、黒砂糖水を十分に煮詰めてとろりとからむぐらいに練ったほうが、美味でしょう。

4)ヨーグルト
とろっとしたタイプのヨーグルトに多目の砂糖を入れ、タピオカをぶちこんで食べる
これはおすすめ。

5) 3)の「黒砂糖水」にタピオカを入れて半日放置したもの(室温29度)
これはいい!!!いいぞ!!!
色が黒く染まり、味もしみています。柔らかくもなっておらず、食感が生かされたままです。

6) 3)の「黒砂糖水」にタピオカを入れてまる一日放置したもの(室温30度)
じゅうぶん可能です。
色がさらに黒く染まり、味もしみています。こころなしか、柔らかくなり本来の食感ではなくなっている気がしますが、十分食べられます。

7) 黒砂糖水につけたタピオカを、黒砂糖水ごとポリ袋に入れて冷凍したもの
じゅうぶん可能です。私はレンジで解凍し、ちょっと、ぬくくなってしまいましたので、ちょっと本来よりは柔らかめかな?という食感になってしまいましたが、自然解凍なら問題ないはずです。

以上です。
結局、無駄にはしないで済むことが分かりました。

「なんか甘いものを食べてしまい、止められない」という方。どうせ甘いものを食べるなら、低カロリーのものを、ということで
たまにはタピオカ一袋をお買いになり、タピオカに縛られてみてはいかがでしょうか。



2005年9月7日(水)
ある日のソックス

九産大の中、周辺をうろうろしている猫の「ソックス」です(←勝手に命名)。

大学正門付近にある、ペット同伴可の食べ物屋さんで、えさをもらっているそうです。
缶詰をまるごともらっていて、手で掻き出して食べているんだとか(下の写真)。
缶詰が見えるかな?

(写真や情報を寄せてくださった院生のYさん、Aさん。感謝です!)

2005年9月6日(火)
台風で

出勤停止命令が出ました。パソコンもってかえってきてて良かった〜
今、ちょっと家の外に出てみたら、前が見えないほどの雨。お〜おお。すごいもんです(外に出るなよ、ってね)。 

ところで、このHPに「気まぐれ読書メモ」というページを作りました。興味を持ってくださる方は、上の「別館ラボ」のボタンから飛んでください。
授業が始まったら忙しくて更新できないかもだけど‥なるべく更新します。

ていうか授業のページの更新が明らかに途中で止まってるのでみっともないよナ〜(汗) とってつけたようにですが、今日、授業のページ(2005年度前期)を更新しました。

2005年8月30日(火)
鍵の抜き方

朝、家を出ようとしたら、鍵が刺さったまま抜けなくなった。
後悔さきに立たず。あわててたから、鍵を刺した角度がまずかったんだろう。
電話帳で「鍵の110番」を引き、電話を掛ける。
業者を待つこと一時間。
「これですか」グッッグッ「ああ、引っかかってますね」刺さった鍵を、ぐりぐりぐり。
ズザッ(鍵が出てくる音)

                 


もう終わりですか。もうちょっと何か、無いんですか。

「なんか、すみませんね〜。6500円になります。あ、これ、工事の書類ですから、サインを‥」
                 


こういう時は、鍵を、何度かぐりぐりと、鍵穴と並行の方向に動かせば、取れやすくなるそうです。

6500円あったらおいしいものが食べれたよ〜。

2005年8月22日(月)
ささやかな幸せ
撮ってたら、






寄って来た。
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