2007年5月17日(木) |
タイトルもいいですね |
いや〜
教えていただいて、行ってみたんですが、
http://haolong.com/m/kando-speech
笑いました〜
○○ま○先生、よくまあ、こういうHPご存知で‥
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2007年5月14日(月) |
アナウンス |
臨床心理学科3、4年生向けに、
大学院生の古川さんがインストラクターをなさる、
臨床心理センター企画「インタラクティブ・フォーカシング体験プログラム」
以下の日程になっています。
5月17日(木)9:30〜10:30 事前説明会
5月31日(木)9:30〜11:00 セッション
6月7日(木)9:30〜11:00 セッション
6月14日(木)9:30〜11:00 セッション
6月21日(木)9:30〜11:00 セッション
6月28日(木)9:30〜11:00 セッション 場所はいずれも、臨床心理センター(2号館7階)です。
インタラクティブ・フォーカシングは、私も3年生後期の授業で、ほんの少し教えていますが、けっこう気持ちよいものですし、ワクワクする感じの面白いものです。
先週末から募集開始しましたが、1限、2限の両方にまたがる時間帯で、「参加したいけど、時間が合わない」という人もけっこうおられるようだということで、
古川さんは別枠での実施も検討すると言っておられます。
関心があるという方は、
古川さんか、森川にご相談ください。
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2007年5月14日(月) |
どこまで進む 私たちの菜食 |
フォーカシングのF氏は、食事を菜食中心に変えたという。
「いや〜びっくりしたね。1ヶ月で血圧が20、下がったからね」
で、菜食料理の勉強のために、レストランに行きたいと言う。
そこで、福岡市平尾の、「ベジガーデン」なる自然食レストランへ。
野菜中心の創作料理。
「おいしいねー」
「でしょ」
それでその日は終わるはず。
だったのだが。
F氏は、「ここ、玄米がおいしい」と繰り返す。
「普通、こんなにやわらかくならんよー。」
たしかに、私も玄米を鍋で炊いたことはあるが、玄米の特徴として「かみごたえ」が出て、30回噛まないとね〜みたいな固さになるものだ。
人懐こいF氏は黙っていない。
店のおねえさんを呼び、
「これ、どうやってるんですか。」
おねえさんは、小ぶりの鍋を洗い場から持ってくる。
シラルガンという、ドイツ製の圧力鍋。
「これだとね、吸水させなくてもすぐ炊けるんですよ。(注:玄米はふつう、炊く前に一日水につけておく。)この鍋だとやわらかくもっちり炊けますしね。それに、おいしさは、鍋と米の比率で決まりますからね。鍋が大きければ、米をたくさん入れて炊かないとだめなんですよ。だから家庭ではこういう小ぶりの鍋が便利ですよね。」
それは知らなかった。
おねえさんは私の表情を見て、たたみかける。
「今、この鍋、一つだけ残ってるんですよ。キャンペーンしたときの残りでね。特別に、ゴマすり器と、料理本がついてるんですよ。」
これは説得法の「ザッツ・ノット・オール・テクニック」だと、わかってはいるが、心は揺れる。
F氏は、私に「買い〜よ」と勧める。「使った感想教えてよ。それ聞いて考えるけん。」
なんせ3万1千円。
鍋一つに、3万1千円。
是か非か。
是、非。
是々非々、是々非々‥
そして、買ってしまった。
早速、玄米を炊いた。
無事、お店みたいな玄米になった。(鍋が同じだから、当然といえば当然だが。)
結論。
玄米は、圧力鍋で炊くに限ります。(この鍋でなければならないかは、わからないが。)
さあ、
後悔しないように、使い倒さねば!!!
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2007年5月7日(月) |
知ってる人は驚く |
日曜日の夕方、何気なくチャンネルを変えていってると、家で飼われてるらしいペンギンが映ってた。
その家のお母さんに「新聞持ってきて〜」とか、「封筒を持ってきて〜」と頼まれたペンギンは、棚から封筒を5,6枚がっつり加えてお母さんの元へ‥。
おかあさんから抱っこされてほっぺたを撫でられると、ペンギンは傍目にもわかるほどリラックス。
ご満悦なペンギン‥。
遠城寺という発達テストから言うと、このペンギンの言語理解力は人間の1歳半ちかくだと思われる。
ペンギン、恐るべし。
(ぜんぜん関係ないけど私がそれ以外でもひそかに驚いたのは‥
ペンギンが歩いてくるときの音楽が、ホルストの第1組曲より3楽章「マーチ」。
ペンギンがおかあさんに封筒を渡しおおせたときの音楽が、かの超絶技巧曲、スミスの「フェスティバルバリエーション」だったことだ。
吹奏楽はいつからそんなにメジャーになった?!)
とりあえず来週も「どうぶつ奇想天外」を観ることにしよう。(いろんな意味で)
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2007年5月6日(日) |
やっと人間らしい生活 |
連休は、家の片づけ。
「ぎりっぎり、人を呼べる状態」には、なったかもしれない。
ここ4年ずっと、「この部屋で犯罪が起きても、警察を呼ぶわけにはいかない」と思っていた。
片付いて良かった。
で、忙しかったので即席ラーメン。
何ヶ月か前に、テレビで、漫才のフットボールアワーの人が、「サッポロ一番塩ラーメン」のおいしい作り方を言っていた。
これは、まじ美味しい。
単なる即席ラーメンが、なめらかになるというか、まろやかになるというか。
@麺を1分20秒茹でる。その際、麺はほぐさない。四角い形のまま、茹で上がったらどんぶりにあげる。
Aお鍋に残ったゆで汁に、添付の粉末スープを入れる。たまごを割り入れる。
Bその間に、別のフライパンでごま油を熱しておく。煙が出るぐらいに。
Cスープを麺の上にかけ、その上に青ネギをたっぷりのせる。添付の切りゴマもかける。
Dその上から熱したごま油をかける。完成。
たぶんこんな作り方。
おかげさまで、何回か食べました。(何回かだよ。何十回ではないよ。)
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2007年5月1日(火) |
むむむ‥ |
休みを利用して、映画「神童」へ。
「神童」は、同名の音楽漫画のほうを先に読んでいて、けっこう楽しみにして行った。
男の子役の人が、漫画の絵と似た顔だったのでびっくり。
女の子も似てる。
ただ、ストーリーはかなり違う。
まあいいか。
で、2時間ぐらいたって、お手洗いにいこうかな‥
行くなら今だよな‥
と思ってたら、それから数分たたないうちに、
唐突にエンドロール。
は?終わり?
ここってお手洗いポイントじゃないの?
意味が分からない映画は、オタクに説明してもらうしかない。
私「別の話になっとるのはいいとしても、主人公やその周りの人が、これからどんなふうに生きていくか分からんやん?」
と尋ねると、
夫「これで世の中にまた一つ、○ソ映画が○きたってことたい」
それ以上語らず、唐突にラーメン屋に入り、ラーメンを注文した。
ズズズズズ‥。
夫「ダメたい」
解説、なし。
嗚呼、期待していたのに‥。
ただ、音は面白かった。
音楽その他、世の中のきれいな音、生活音、雑音騒音を含めて、音が楽しめるように作ってあった。
主人公の女の子と、男の子が連弾するときの、二人の音色の違いが、とても良かった。
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2007年4月17日(火) |
裁判について |
今週は、履修届受付日などあって、ほんのすこし普段の週よりは緩いので、
お友達をさそって裁判の傍聴へ。
久しぶりにお会いする場所が傍聴というのは、世間的にはいかがなものかと思われるが、法廷の前に並ぶソファーは意外と和やかで入りやすい雰囲気である。
事件名が「傷害事件」ということで、傍聴に入ってみると、DV男性だった。
見た目きわめて屈強で、怖そうだった。
話し方は、とても気が弱そうだった。
傍聴が終わってお友達は、「なんだか、しどろもどろで、(「反省しています」という言葉も)本心から言っているようには聞こえなかった」と言った。
私も、
うそがあるとまでは言えなくとも、
彼がこの件での反省や気付きでその人の心が強くなったとか、何か心のステージが変わったような実感があるようには、見えなかった。
それこそ、あのおどおどした感じは、何かDV加害者に対するプログラムなど、心理的な援助を受けたほうがよい人であるような気がした。
さて、傍聴に行ったのは、一つ確認したいこともあったからだ。
私「裁判所内で記録の閲覧ができると聞いたのですが。当事者以外も、閲覧できますか。」
窓口の人「残念ながら、できません。官公庁の官報を見ていただくしかないですね。」
まあ、私も駄目モトで尋ねたことであった。
私「被害者とか、目撃者といった、当事者でないとだめということですね。」
窓口の人はそれには頷かず、
「‥ご家族とかですね。」
まず加害者の家族。
被害者がくるとしても、その次。
私には一瞬、この順番が意外に思えたが、
よくよく司法というものを思い出したら、そういうことなのだ。
裁判所にとって裁判は、やはり、加害者側のものだ。
平成12年より被害者保護法に基づいて、犯罪被害者および遺族は、裁判中であっても第1回公判後から記録の閲覧・謄写ができることになった。
被害者やご遺族であれば無条件で閲覧できるのではなく、損害賠償請求等が要件とされる上,閲覧・謄写の範囲が裁判所の裁量に委ねられているため、被害者の立場からは「真相を知りたいという理由でも閲覧・謄写を認めてほしい」といった要望があると聞く。
裁判の結審後は、記録が検察庁に移るが、閲覧・謄写の要件が上記と変わるわけではない。
私の知っているある被害者の方は、事件から数年後、裁判での加害者の受け答えの様子を知りたいと願って記録の閲覧を求めたが、検察庁の「窓口レベル」で断られた。
その話を聞いたときには、私は、残念極まりなかったし、なぜそういう決まりになっているか意味がわからない、と感じた。
一般人が傍聴できて、メモも取れたような事件なのに、なぜ、数年経った被害者本人が、記録を見てはいけないというのだろうか。
本で読んだところによると、アメリカでは、被害者本人どころか、一般人でも研究目的ということで、裁判所内のコイン式コピー機で公判中の事件の記録をコピーさせてくれるという。
日本でもせめて被害者およびご遺族には自由な閲覧・謄写が許可されてしかるべきではなかろうか。
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2007年4月9日(月) |
両輪 |
教えることばかりでは、なんとなく人としてのバランスが悪くなりそうなので、
学期の合間には、極力、「教わる」という機会を持つことにしている。
けど、この春休みはなんか学校が忙しくて、心理学系のワークショップに出ることはできなかった。
春休みがどん詰まりになって、やっと空いた週末、ワークショップに参加。
内容は、チャネリング。
チャネリング:channeling 自己催眠状態に入り、日常的な意識から外れた宇宙意識や存在、ハイアーセルフなど様々な次元からの情報をチャネラーという媒体を通して引き出すこと。(以上、HP「はてなダイアリー」より)
つまり、もろ、スピリチュアル系。
講師のリチャード・ラビンという先生、開口一番、
「日本のチャネラーの皆さん、こんにちは」。
参加した時点でチャネラーか‥。
ということで、最初は面食らったが、結論的には、
そう、怪しいものではなかった。
それは心理学の延長線上にあった。
自己催眠に入るのは気持ちよかったし、作業自体は、
ゲシュタルト療法の「老賢者のワーク」に似ていた。
「宇宙意識や高次の存在」に問いかけている、と思えば、チャネリングということになるし、自分の中の賢い部分とつながっている、と思えば、今までも心理学がやってきたことだろう。
自分の質問疑問について自分がチャネリングをして、なにか「存在」から答えをもらう、というのを何回か練習したあと、
「2人組になってください。一人がチャネラー、もう一人はクライエントです。」
練習とはいえ、人の悩みに対してチャネリングすることになろうとは‥。
自己催眠モードに入り、クライエント役の人がしてくる質問に対して、「もっと自分を信じることです」などと断言している自分。
カウンセラーとしては、まずやらない、即答。
‥‥ちょっと気持ちいいかも。^^;
自分がクライエント役になって、質問をする番で、昔の対人関係について簡単に尋ねてみたら、
相手のチャネラー役の人が、どういう対人関係かをある程度当てたのにはびっくりした。
人間の叡智と言うべきだろう。
チャネリング全体の感想としては、
答えは返ってくる感じ。手にできる感じ。
ただ、「チャネリングがあれば、カウンセリングは世の中に要らない」とは思わなかった。
「高次の存在」が上から教えてくれる答え(例えば、「自分を大事にせよ」といったこと)について、
「それは分かっているけれど‥」「どうやったら、そうできるのかわからない」と思うことがしばしばある。
チャネリングに限らず、教師、占い師などから、「教えられる」体験は、大部分、そういうものだろう。
人は、明確な灯台が欲しいときもある。必要なときもある。
ただ、そうやって明確になった到達目標を前にして、
今の自分の地平から、自分の足で、階段を登っていく、
その地道な歩みには、
カウンセリングがお役に立てるのだろう、と思った。
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2007年4月3日(火) |
いっそのこと、ジョン・ケージ |
英語を音符に直すと、どうなるだろうか。
きっと、グリッサンドやポルタメントのオンパレードになるだろう。
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2007年4月2日(月) |
できることとできないことがあります |
3月30日。一日だけ休みができたので、
英会話学校の実力試験を受けに行った。
結果は‥。
D判定。
「文法を基礎からやる必要がありますね」と書いてある。 学会英語を聴き取るどころか、
4年生の臨床心理文献講読Bという英語の授業を、
たとえ1ヶ月間でも担当する、
その資格は無いと思われる。
まずい。まずいぞ。
3ヶ月間、毎日毎日、ブッシュのもっさりした顔とにらめっこしながら、ニュース英語などを聞き漁った私の努力は‥。
まあ、ほとんど解けないテストを、がんばって最後まで解くという気持ちを
改めて理解することには役立った。
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2007年3月23日(金) |
ブルー |
来年も金曜日に2,3,4,7限と
連続3コマ授業
しかも3限が心理テストの授業だなんて‥
体力持つのだろうか
前後が授業で挟まれてちゃ質問とかも受けられません(T T)
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2007年3月16日(金) |
久しぶりに授業すると‥ |
九州高校の模擬授業は、70分間だと、分かっていたはずなのに、なぜか終了時間を10分間勘違いし‥
授業のシメの部分の、「だからどうしたらいい」ってあたりの話を、話せませんでした。
九州高校の皆さん、ごめんなさい。
続きは入学なさってからということで‥(汗)
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2007年3月14日(水) |
ぎりぎり2〜3才児レベルと思われます |
暇があればテレビで、ブッシュやゴンザレスなどの顔を見ながら、分からない英語をただ聞いているのもつらいものがある。
そんな中、もう一つ、英語の番組を発見。
NHK教育 平日7:25〜7:30 「ブルーナの絵本〜ミッフィーとおともだち」
文章が短い。
画面で表現してあることしか言わない。 いいぞミッフィーちゃん!
かわいいぞ!
これならオバチャンにだって聴き取れるぞ!
ちょっと嬉しいけど、
これではまだまだ、英語の学会発表を聴き取るのは無理ですね(T T)
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2007年3月7日(水) |
新 臨床心理センター稼動 |
やばい。
引っ越してみて、使ってみると、所長室とかそういう特別な部屋が増えているせいか、使える面接室が、思ったほど多くない。
これでは、学部生が卒論で使う面接室はどうする?!
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2007年3月1日(木) |
期限切れてても食べます(少しぐらいなら) |
今日で5号館ともお別れ。
片付けていると、ミーティングテーブルの引き出しから、見たことのないスナック菓子発見。
どなたか、学部生の方、忘れていかれましたね??
まだ賞味期限内なので、そのうちいただいちゃいますよ〜。
もしこの引越しが無かったら、20年後ぐらいに、発見されてたんだろうな。
そういうのも面白いかも‥
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2007年2月22日(木) |
5号館→新築2号館 |
3月2日に引越し。
どこの先生も、連日、引越し準備のダンボール詰めをしておられる。
私のお向かいの先生は「8割がた終わりましたよ」
お隣の先生は「引越し前夜の状態(10割済み)よ」‥。
まったく始めてないのは、私ぐらいだろう。
書籍も少ないしね‥。
むしろ気になるのは、机の中のがらくたとか、机の上のこざこざした書類とか‥。
ということで、まず机の中の片付けと称して
賞味期限の切れたお菓子を食べている自分。
明日午後は引越し作業に専念します。
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2007年2月14日(水) |
気まぐれ流 英語番組の難易度 |
研究室に卒論生が入ってくることを考えると、この春は統計(パソコンによる統計)を勉強しておかざるを得ない。
それとともに、学生を将来海外の学会に連れて行くなどということを考えると、英語を習得しておかざるを得ない。
順序から言えば、統計の勉強を先にせねばならないのだが‥(悪寒)。
統計に関しては今日、図書館から本を借りただけでもよしとしよう‥。
英語に関しては、話すのは、簡単な構文または単語にすれば、カウンセリングの学会の人はやさしいので、根気強く聴いてくれる。
問題は、相手がしゃべっているのが「聞き取れるかどうか」だ。
非常勤の英語の先生によると、「英語は、とにかく聞いているうちに、急に分かるようになりますよ。急に来ますから、あきらめないことです」とのこと。
2ヶ月聞いているけれど、さっぱり分からない。
分かるようになったのは、アメリカでは軍事ニュースが異様に多いということだけだ。(画面見てれば分かります‥)
【テレビ番組における英語聞き取りの難易度について】
上から順に、初心者に優しいもの。内容
@NHK衛星第1 19:00 NHKニュースの最後の「気象情報」
‥「中国大陸から寒気が‥」などとセリフが定番なので、容易に推測でき、初心者でも超天狗になれてgood。
ANHK教育 火曜日23:10 「テレビで留学!コロンビア大学中級英語講座」
‥中級とは書いてあるが、先生の発音が平易なのと、黒板に書きながらなので、分かりやすい。「外国人の英語が分かった」と、やや天狗になれてgood。
BNHK教育 木曜日23:10 「3か月トピック英会話 ジュークボックス英会話 歌詞から学ぶ感情表現」
‥歌詞なので週によって難易度が変わる。分からなくても楽しめる内容。
CNHK総合 日曜日深夜 「Weekend Japanology」
‥日本の文化、風俗についてその道のプロの人が出てきて語る。難しいが、語り手が日本人なので「これくらいの下手な発音でも通じてるぞ‥」と妙な安心感が。内容的にも、外国人とお話するなら知っておいたほうが良い内容。ただ、NHKに軽んじられているのか、他の番組の都合で勝手に放送時間が変わるのが難点。
DNHK衛星第1 8:15「おはよう世界」アメリカ、イギリスのニュース
‥もちろん、初心者に聞き取れるものではないが、アナウンサーの滑舌が異様に良く、「もしかして聞き取れそう‥」と思わせてくれる(思わせてくれるだけだけど)。このニュースはタイトルを替えて、一日中、一時間おきに放映されているので、一回目を英語、二回目を日本語、三回目を英語などという順で聞くことができ、勉強しやすい。
ENHK教育 月〜木曜日23:00 「新感覚☆キーワードで英会話」
‥ねらいとしては初級の番組と見受けられるが、バイリンガルの安良城さんという女性の「声質」がやわらかすぎて、英語はもちろん日本語も聞き取りにくい。安良城さんだけでなく、例題を劇仕立てでしゃべっている2匹の猫の声も聞き取りにくい気がする。初級の番組なのに聴き取れない、ということでやる気down.(内容は、良いと思うけれど)
FNHK総合 毎週金曜 午後11時〜午後11時29分 「英語でしゃべらナイト」
‥すごくとっつきやすそうな番組なのに、パックンの英語は聞き取れない。これを聞けるようになれば外国人が「普通に」しゃべっているのを聴けるんでしょうね〜。
GNHK衛星第2 金曜23:30 「さすらいのドッグトレーナー〜あなたのダメ犬しつけます〜」
‥ドッグトレーナーの人の英語が明快で分かりやすい。(「分かりやすい」ということは分かるが、実際には「分からない」のが悲しい。)ただ、超ド級の駄目犬がすごく良くなるので、英語が分からなくても楽しめる。私はこの番組が一番好き。相談番組だからでしょうね。
HNHK衛星第2 不定期 「奥様は魔女」
‥登場人物に年配者が多いからか、会話がややゆっくりペース。もちろん、初心者に聞き取れるものではないが、ひんぱんに笑い声が入るので分からなくても気がまぎれる。ドラマで勉強するならたぶん、 「奥様は魔女」に限る。
INHK教育水曜日 23:10「ドラマで楽しむ英会話」
‥難しすぎて問題外!こんなものを日常的に聞き取れるアメリカ人、イギリス人はすごい。
えらそうに書きましたが、結局、私が分かるのは気象情報だけです。南無阿弥陀仏。
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2007年2月9日(金) |
対話 |
法制審議会の刑事法部会が「被害者参加人」制度の導入を決め、法務省がそれを受けて今国会に刑事訴訟法改正案を提出する方針だという。
これが認められれば、犯罪被害者は傍聴席でなく検察側の席に座り、論告求刑的な最終意見陳述のほか、被告人質問や証人尋問も可能になるという。
「審理の客観性に影響を与える恐れがある。」との慎重論もあるが、
被害者の声を聞いて、なおかつ、「冷静で客観的」な審理を行うことは、可能なはずだ。
それが不可能だという論理は、論としては分かるが、ある意味滑稽ではなかろうか。
「今までの裁判は、被害者の苦痛を飲み込んだ上で冷静で客観的な審理をしていたわけではない」と言い放っているのと同じだから。
ところで、そもそもこの制度を「そのまま」利用する被害者、つまりこれほどまでに面と向かっての対話を希望する被害者は、多くないだろう。
ニーズが高いのは、ご遺族かもしれない。
被害者当人としてみれば、この制度を利用する場合、いろいろな意味の恐怖感から、丁寧な個別配慮を必要とするだろう。
今後も、被害者の「様々なニーズ」が反映される制度となっていくことを望む。
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2007年2月8日(木) |
それが分かるまでの、長い道のり |
九大の若手、O田氏から頼まれた。
「あの、一人フォーカシングのマニュアル、講座で紹介するので見せて貰えませんか。」
1990年に書いた私の卒論は、うまい具合に世間から忘れられていると思っていたが、“フォーカシング字引き”O田氏にはかなわない。
卒論は短縮して機関誌「フォーカシング・フォーラム」に投稿したはず。
コピーして送ればいいやと、探すが、どうしても見つからない。
残るは。
あれしかない。
ぼってりと厚い、卒論の原物。
決死の思いで手に取る。
恥ずかしくて死にしそうだ。
文も構成もゴツゴツしている。
冒頭の一文からして、めちゃくちゃだ。
「これは、人のために書くのではなく、私が欲しいから書く。」
論文の公共性を全否定しちゃってる。
指導教官のM山先生はこれをよく、「クシシシシ」と大笑いしただけで済ませたものだ。
そして私は、その年の大学院入試に落ちることとなる。
論文の「形」については学生同士の教え合いに任せ、
ご自分は、
「それを言いたいんですか」「アンタは本当にやりたいことをやっているんですか」と、ひたすら繰り返しておられたM山先生。
ちなみに、私が卒論で作った一人フォーカシングは、日記を5つの欄に分けて書くというもの。
用紙部分をパソコンに打ち直そうとして、見ると、長々と教示(説明文)がつけてある。
教示なんて作ったかな。
仕方なく、教示も書き写す。
途中、書き足そうとして、その困難さに気づく。
手を加えることができない。
21歳の自分に、38歳の自分が説得されていく。
これは。この教示は。
本当に当時の私が書いたのか。
あの、知識的にも人間的にも不具合が多かった私が書いたものなのか。
使う人の視点と教示者の視点を行き来する、教示作成の瞬発力において、
今の私は、当時の私にかなわない。
*********
たぶん論文の出来というものは(そしておそらくは、人間自体の出来も)
「モード」と「ピーク」の観点から見ることができるだろう。
モードは論文「全体」。つまり論文全体が、セオリーを踏み、公共的で読みやすいものになっているかどうか。
ピークは論文の「一部」。その論文の中に、ごく一部でも、すごいところがあるかどうか。
もちろん研究者として認められるには「モード」のレベルが高くないと話にならない。
だから論文指導する側は、「ここが足りない」と指摘して、全体を良くしようとする。
しかし、もしM山先生が、私の全体を早くまともにさせようとして、
論文に赤を入れたり、人間的におかしなところを逐一指摘していれば、
私はいろいろ考え過ぎて、教示文まで書き直していただろうし、人間的にも、今よりよけいに変になっていたかもしれない。
4月から、森川研にも卒論生が入る。
ピーク、つまり、その人の持つ最大限の力というものは、指導で作りあげるものではない。
それは、卒論生が最初から持っているものだ。
できることは、潰さずに、発現する(させる)こと。
モードに気をとられ、ピークをつぶさないように。
ピークを大事にしていれば、
長い年月の中、自分のピークのレベルに、モードのレベルのほうも、だんだんと、少しずつ、近付いてくる。
たぶん、人間とは、そういうものだろう。
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2007年2月4日(日) |
猫の手を借りた |
入試の試験監督は、ずっと続いていた胃痛のため何度も試験監督をギブアップしようと思ったけど、なんとかやり終えた。
その夜、団地の棟猫が遊びにきた。
私が帰ってきたままの格好で、コタツに入って横になると、
猫は私の顔や手をなめまくった。
喉をならしながら、私の上に半身を乗せた。
彼の手は私の胃のあたり‥。
1時間ぐらい、喉を鳴らしながら、彼は乗り続けた。
とても、温かかった。
いつもは、せいぜい膝にのって、手を2回舐めるぐらいしかしないのに。
で、私は、翌日には治った。
猫気功‥
老猫、おそるべし。
(単に彼は、私の着ていたビロードのジャケットが気に入っただけかもしれないけれど。)
それ以来、うちでは彼のことを、「神」と呼ぶようになった。
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2007年1月30日(火) |
連絡 |
カウンセリング演習の評価が終わりました。
多少の講評を、授業ページに書いています。
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2007年1月27日(土) |
1人サファリ |
5号館1階相談室界隈で、天然石のブレスレットが流行中。
よく、天然石を見たり、手に持ってみるだけで「この石が合う」「この石は合わない」と、分かるという人がいたりする。
中には、「石がたくさんあると、波動が強すぎてびんびん来るから、そういう店の中に居ることができない」という人まで居る。
自分はそういうのがさっぱり分からない。
「それなら、持つ意味なし」、かもしれないが、
人が持っていると欲しくなるのが習性というもの。
こういう私でも、持っているうちに、微妙な違いが分かるような感覚が育てばうれしいし。
ということで、誕生日によって石を選んでくれるという店に直行。
http://www.jyussyoucan.jp/
待たされている間に、店頭にある石を触っていくと、どれもあたたかい気がして、差が分からない。
トルコ石だけは、冷たい気がする。
で、その店では八卦という方法でいくつかの石を選ぶらしく、自分の場合5種類の石となる。
「はい。これがあなたのです。」
‥‥‥‥。
なんだかこれは‥‥‥。
シマウマっぽいぞ‥‥‥。
たしかに「触ってかなり暖かい」系の石で、身体には悪くなさそうだが、
見るたびにサファリパークを思い出してしまう。
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2007年1月24日(水) |
試験期間。 |
犯罪心理学の採点が終わりました。
多少の講評を、授業ページに掲載しました。
掲載期間は、2月中までぐらいです。
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2007年1月17日(水) |
うちは正室なのか、2号・3号なのか、そこが問題だ |
きっかり3日に1度、猫が遊びに来る。
茶トラの彼は、おとなしくこたつ布団の上で寝て、数時間で帰っていく。
他の2日はどこの家に行ってるんだろう‥。
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2007年1月9日(火) |
進路ウイーク |
今日、臨床心理学科では3年生の進路ガイダンスでした。
なるべく楽しみながら就職活動を乗り切るため、皆さん方のグループから出てきたアイディアに、なるほどなと思ったりしました。
明日は、卒論ゼミを選ぶエントリーシートの提出日で、
まだ決まってない人も多いようです。
自分が大学生のときは、カウンセリングの先生が2名しかおられず、あとの先生は動作法、社会心理など、かなり差があったので、研究室を選ぶのは簡単でした。
けど、九産大は、臨床を専門とする教員5名ですから、差がなくて、選びにくいかもですね。
臨床の範疇に入る研究ならたいていのことは、どこの研究室に行っても書けます(指導できます)ので、
迷う人は
「友達がいるから」みたいに、適当に選んでおかれててもいいぐらいのことかもしれません。
「研究室に入るというからには、教員の研究テーマに合わせて『これをしたいから入れてください』と言ったほうが指導してもらえるのだろうか」、と考えた方々もおられるようですが、
自分のしたいことがある人は、決して、教員のテーマに合わせようと思わないで、それを大事にしてください。
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2007年1月4日(木) |
あけましておめでとうございます |
コタツを出したら、近所の猫が遊びに来てなかなか帰らなくなりました。
猫に気兼ねして外出しにくかった正月。
ということで、今年もよろしくお願いします。
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2006年12月27日(水) |
今年もあとわずか |
ちょっと、ひまになったので、「紅茶のシフォンケーキ」を作ってみた。
食べると、紅茶の葉が、硬かった〜。
レシピをよくみると、「紅茶ティーバックの紅茶」を入れるようにと書いてある。
たしかに、紅茶ティーバックの紅茶なら、粒が細かい。
書いたとおりにしたらよかったのね。
ということで、来年もよろしくお願いします。
みなさん、よいお年を。
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2006年12月18日(月) |
ホップステップジャンプ3 |
私が、愛国心の教育をせよと言われたら、「愛国心」は教えない。
ただ、日本について、詳しく、教えるだろう。
一般的に良いとされることも、悪いとされることも、すべて。
そうでないと意味がない。
そうでないと、ほんとうの愛国は、出てこないと思うから。
知ることは、愛すること。
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2006年12月17日(日) |
ホップステップジャンプ2 |
愛国心、みたいに、「価値観」を、教えこまれようとすると、
逆に嫌になる人って、いると思う。
(そういうのを、心理学では「ブーメラン効果」と言います。)
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2006年12月16日(土) |
ホップステップジャンプ |
12月15日、,改正教育基本法が可決、成立。「教育の目標」(二条)には「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」というように、「愛国心」の理念が盛り込まれたという。
それは悪いことじゃないだろうけど、
愛国心ってどうやって教えるんだろう。
自分自身や、自分の家族を愛することさえ苦労している人たちに、どうやって国まで愛せと教える?
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2006年12月8日(金) |
閑話休題 |
12月。それぞれの授業も、あと3回とか2回とかになり、
世間ではいろいろな、「○○大賞」なんかが発表されたりで、
いかにも年の暮れですね。
変換ミス大賞
http://www.kanken.or.jp/henkan/happyou.html
個人的には14位がツボですわ〜
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2006年12月4日(月) |
寒波到来 |
帽子、手袋、ニットのタートル、ロングコート出動。
真冬には何を着よう(--;)
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2006年11月26日(日) |
旅 |
博多を新幹線で出発し、岡山で特急に乗り換えた。
山陽から山陰へ、日本を縦断。
私の好きなもの(木や川)がたくさんあった。
次々と視界に入ってくる清流と紅葉。
松江の会場に着き、「たくさん川がありましたね」と言うと、
「伯備線は川線と呼ばれていますからね」とのこと。
そう言うA氏は、関東からわざわざ夜行列車で来たという。
それからいろんな人との会話があった。
そしてまた伯備線に乗って帰った。
川線という呼び名はその線路にぴったりだ。
あちこちで子どもが自殺しているけど、
なんとか歯を食いしばって大人になり、
たまに旅をしたり、自由になれる時間をもてれば、きっと、人生もそこそこ悪くないと思えるのではないか‥。
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2006年11月22日(水) |
不在届 |
明日から、フォーカシングの集まり(学会的なもの)で、松江に行ってきます。
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2006年11月20日(月) |
差がわかりません |
入試試験官の仕方について説明を受けているとき、暇だったので、前に座っている3人の先生のオーラを見た。
3人とも、輪郭の外側に、明るい白い部分があった。
そこまではわかった。
けど、色は見えない。
色が見えるようになるというのは、かなり高いハードルのような気がする。
差がなかったといえば、推薦入試の面接。
あまり差がなかった。
面接を、一生懸命練習してこられただろうけど、(その成果は、おありになったと思うけど)、差がつくのは、小論文でしょうね‥。
好きな科目を尋ねると「現代文です。いろいろな人の気持ちを読み解くのが好きだからです。」と答える人が多いのは、臨床心理学科対策でしょうか。
そう思うのは、かんぐりすぎでしょうか(笑)
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2006年11月14日(火) |
後期、真っ最中 |
日替わり丼。
シチュー丼、からあげトッピングというのは「意外と有り」な感じだ。
ただ、みそ汁は要らないのでは‥(笑)
こういうのって、今も昔も変わらない、きわめて学食らしいお昼だなあと思ったりする。
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2006年11月13日(月) |
ベジタリアンなお取り寄せ |
http://www.mame.co.jp/
↑ここの「青大豆」、最高っす。
地味なところで「黒ささげ(輸入)」もgood.
豆なのに、「油が乗っている」ように感じられるのはなぜ?
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2006年11月1日(水) |
ガラス戸の中 |
あったかい場所に座布団を置いてもらってる黒猫。
かわいがられている動物を見ると、なごみますね〜。
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2006年10月21日(土) |
どこまでもトロ好きな一家 |
回転寿司へ行った。
私らとほぼ同じ時刻、はす向かいの席に、両親と、小5ぐらいの少年が座る。
父親が手を伸ばしたのは、いきなり大トロ3皿。
親子で食べてる。
さらに父親が手を伸ばす。 大トロ3皿。
今度は子どもが手を伸ばす。
大トロ3皿。
父親は背広の下に腕輪をしている。
天然石を身につけてゲンをかついでいるところを見ると、商売をしている人だろう。
私と夫がエンガワなんかを大事に食べてると、親子はなにやらメニューを見ている。
「お母さん、これとこれ、何?」
「そうね。」「すみませーん。カニミソ1皿、それと、アワビ3皿で。あ、1皿はサビ抜きでね。」
「サビ抜き」でアワビかよ。
そうこうしていると、また大トロが回ってる。
それらをことごとく食してる親子。
おい少年、ちったあ遠慮しろよ。
その皿の金色銀色が目に入らぬか。
つーか君、肥満体だよ。
通り過ぎようとする大トロを目の前にし、
私はついに我慢できず言ってしまった。
「まー、脂ばっかりやがー。」
大トロの隣で回ってるカッパ巻きを食べてみると、まじで美味い。
「あー、結局はこげんかとが一番美味しかね!」
やがて水面下の紛争は終わりを告げ、彼らは私ら夫婦の3.5倍の金額を払って帰っていった。
夫曰く、「まー気持ちは分かるし、アンタが言ってくれてスッとしたけどさ、回転寿司に来てる時点であっちも庶民なわけよ‥。『庶民の上』と『庶民の中』の、小さい争いやないね‥。」
ええ、ええ、そうでした。
大人気なかったですね。
反省、ちょっとだけ。
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2006年10月20日(金) |
芸術の秋 |
福岡市アジア美術館。
http://faam.city.fukuoka.jp/cgi-bin/event/event.cgi?year=&eid=10178
「仏画」を描いてみよう、というワークショップ。
行ってみたいけど、「11月7日から12日まで毎日来られる方」って参加条件は、さすがに厳しいなあ〜〜。
自分が学部生か院生だったらきっと、授業さぼって行くよな〜。
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2006年10月12日(木) |
初心者傍聴のすすめ |
学校行事で自分の授業が休講になったので、裁判の傍聴に行った。
成り行き上、犯罪心理学を教えているが、とても教える資格がないと思っているので、少しでも司法に接して罪滅ぼし?するために行っている。
丸一日いると、くたくたに疲れる。
民主主義国家において傍聴という制度が作られているのは、司法を国民の目で観察・監視するためだという。だから傍聴は市民の権利であり、誰でも行ってよいことになっている。
とはいえ。
被告人、被告人の親御さん、意見陳述するご遺族の方々、
その生々しいやり取り。
濃縮して語られる、双方の人生。 聴いてていいんだろうかってことまで語られる。
聴いている私は、完全にやじうまだ。
国家に対しては何の遠慮もないが、事件当事者の方々に対しては、なんかちょっと申し訳ないと感じる。
そんなふうに感じる必要ないと分かってはいるけれど。
よく、日ごろの生活では、「傍観者になるな」とか言われるけど、傍聴では完全に傍観者。
何をしなければなならないという義務はまったくない。
むしろ、何もしてはいけない。
そして、何を感じてもいい。
何を自由に感じてもいい。
ある意味、そんな経験は、他の場ではできない。
傍聴というのはそういう特殊な場だ。
ちなみに、
福岡地方裁判所の場合、玄関を入ったら案内人のおじさんのブースがある。
別におじさんに挨拶しなくてもいい。
おじさんを通り過ぎると、右手に法廷がずらっと並んでいる。
一階が簡易裁判所。
三階が地方裁判所。
各法廷の前に、裁判の時間と罪名、被告人名などが貼ってある。
法廷には当事者の入り口と、傍聴人の入り口があるので、傍聴人の入り口から入る。
時間の途中で入っていい。(ただし「みだりに」出たり入ったりして裁判の妨げになるとアウト)。
そのへんはほぼ、学会と同じと言ったらいいかもしれない。
帽子着用や録音録画、法廷での飲食は駄目らしい。
放歌が駄目、とも書いてあるけど、この時代に歌う人はまずいないだろう。
事前に「プログラム」をみたい人は、裁判所の玄関ロビー(おじさんの少し先、裁判所のパンフレットがあるあたり)の机に青いファイルが一つあり、その中に今週一週間の裁判の一覧表がはさんである。
インターネット等では事件名は分からない。
地方裁判所の刑事事件もいいけれど、簡易裁判所の刑事事件も味がある。
もめていない事件は、今週初公判があったら、次週に判決で終わり。つまり裁判が2回で終わってしまうという短さ。判決の日はほんとに刑の言い渡しだけなので、たいていのことは初公判の日に行われる。1時間ぐらいの間にコンパクトに事件や被告人の動機、犯罪に至る経緯などが話され、裁判の流れも一通り分かる。
そういう意味で、傍聴一発目は、やたら有名で大きな事件の傍聴に行くよりも、ごく普通の、日常的な裁判を見るほうがお勧め。それも初公判、つまり「新件」と書かれた裁判を傍聴してみることがよいと思います。
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2006年10月3日(火) |
なかなか‥ |
それなりに忙しいはずなのに、コンピューターに入っているゲームがどんどん上手っていくのはどういうことだろう。
明日からまじめにやろう。
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2006年10月2日(月) |
もう、遅いかもしれませんが |
先ほどお電話くださった先生へ
各都道府県の臨床心理士会に、メールやファックスで講師派遣のご依頼をなさると、
日程等都合がつけば、適当な講師の派遣がなされます。
お電話いただいた際に、そのことを思いつけばよかったです。
ここを再びご覧になっておられたらと思いつつ、記しております。
各都道府県の臨床心理士会の連絡先は、日本臨床心理士会のHPを検索していただくと、ございます。
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2006年9月18日(月) |
もう夜だし |
この連休の3日間は、夫も出張していたし、私は中日が出勤だっただけで、あとは何もなかったので、
日本心理臨床学会にも行かず、一人合宿と称してひきこもった。
朝から晩まで、犯罪心理学。
だいたい、デュルケムとか、マートンとか、サザランドとか、いったいどんな顔の学者なのか。
というか名前の発音はこれでいいのか。
そればっかりは文献で確かめようがない。
東亜大の酒井先生はもう退官なさってしまわれたし。
皆さんごめん。
専門外です。
就任の際に断るべきでした。
他大学を受講し図書館に通い本屋に通い資料を取り寄せコピーして切り貼り切り貼り切り貼り切り貼り、そして、
明日開講。
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2006年9月17日(日) |
勝手流ゴーヤチャンプル |
ゴーヤ。もやし。卵。
豚肉が入ってもゴーヤの苦味がなくなるわけでないから、豚肉はべつにいらないと思う。
1 フライパンに油を熱し、卵を大き目の炒り卵にし、皿に移しておく。
2 ゴーヤを投入
3 比較的すぐにもやしを投入
4 すぐ卵を投入
5 塩を多めにふりかけ、酒少々を投入。つまり塩と酒で少し、炒り煮する。
6 酒がなくなったら、できあがり。皿に盛る。
7 かつおぶしの好きな人は、かける。
以上、レシピ。
え、なんか変だって?
(影の声:ゴーヤチャンプルは、最後に溶き卵を回し入れて全体に絡めるんじゃないの?)
そうだけどね、そうすると、いかにも卵でゴーヤの苦味をごまかすようにくるんでて。
で、噛んでみると
苦!やっぱゴーヤでしたねあなた!
みたいな。
ゴーヤはゴーヤ、卵は卵。
単体勝負のほうが、潔くて、 表面に直接塩がかかってて、
かえって苦くないと思うんだけどな。
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2006年9月16日(土) |
ハコミセラピー2 |
「Loving Presense」。
1人を囲んで、3人がつぶる。
そして、たまに目を開ける。
1人の存在の、本質的な輝きを感じるために。
私を囲んで、3人が目をつぶる。
‥目のやり場がないので、私も目をつぶる。
1人。もう1人。
私から受け取っているものを、見出したら、
チャンネルがつながったような完了感が、エネルギーとして伝わってくる。
3人とも完了すると、3人から来る“気”が1つになり、山脈のように連なる。
‥‥‥これは。
いつも私が、樹に触れるときに感じるエネルギー。
確かに、あの感じ。
人間のほうが、強く、はっきり伝わってくる。
3人いるからか、それとも、私たちが人間同士だからか。
やがて3人は、それぞれ、私から受け取っているものについて話してくれる。
私は、ありがたく、感謝して聞く。
そして3人は、“自分にとってそれがどんな意味があるのか”を味わうために、再び目を閉じる。
それぞれの作業に入った3人には、あの、エネルギーの質を感じない。
静寂の、もの思う樹。
樹に触れずにただ、樹を前にしているときと同じ感じ。
‥‥‥ということは。
私がこの体験に驚き、立てた仮説は、こうだ。
樹に触れて感じるエネルギーは、
樹の常態のエネルギーではなくて、
私に触れられた樹が、それが誰だかを感じようとして、こっちに注意を向けてきている、注視のエネルギーなのではないか。
そして、もう一つの仮説は、
樹は、Loving Presenseの状態に入ることが、人間にくらべて非常に早く、ほとんど瞬時に、純粋な、Loving Presenseになれるということだ。
この仮説が正しいのか、正しくないのか。
答えは一生涯、確かめようがない。
どうせ分からないのだから、
自分にとって楽しいと思える答えに沿っていこう。
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2006年9月6日(水) |
ハコミセラピー |
そして私が東京で何をしていたかというと、「ハコミサイコセラピー」なるワークショップに出ていたのだった。
前から、ラヴィング・プレゼンスという概念に興味を持っていた。
ラヴィング・プレゼンスのワークは、やはりよかった。
インタラクティブフォーカシングの一部をていねいにして、そのありがたさを心から受け取るようなワークだった。
ラヴィング・プレゼンスだけでなく、全体的に、ハコミは、フォーカシングに似ている。
参加している人たちも似ている。
イトコの家でご飯食べてる感じだ。
なのに、講師の先生がみんなの前でフォーカシングを侮辱した。
(先生は、ここにフォーカシングピープルがまぎれこんでいるとは思っていなかったのだろう。)
「ハコミはフォーカシングに似てますけど、フォーカシングより自由度が高いです。フォーカシングはもっとリジッドです。」
そんなことないわい!!
ハコミも、フォーカシングも、その奥に見出している美しいものは、きっと同じなのに。
ハコミのロン・クルツ、フォーカシングのジェンドリン、ゲシュタルトのフリッツ・パールス。ほかの人もそれぞれ別々の療法名をつけて、西洋の心理療法はすごい群雄割拠状態になっているけど、インド医学で言えば「この世の真理、アーユルヴェーダを文章化した医者たち」ってなもので、はっきり言ってみな、同領域だ。
今後私は、他の療法のことを軽々しく「○○療法はこんな感じ」なんて、悪い意味で言うことを一切やめようと思う。
そして、「ハコミ」がすばらしいんじゃなくて、「フォーカシング」がすばらしいんじゃなくて、
人間本来の能力がすばらしいんだ、と言おうよ。
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2006年9月2日(土) |
日本の芸術 |
東京は築地。タクシーを降りるとすぐに、荷車の音がきこえた。
同じ時期に福岡から出張に来ていたF盛氏。まったく迷いもせず荷車をひょいひょいとよけながら、私をそこへと連れて行く。
http://urawa.cool.ne.jp/vfsarah/susi/sushi_tsukiji.html
「寿司大」の前には行列。
朝5:30ですよ。
(ちなみにお店の開店時間は5:00。あとで聞いたが、5:00ジャストに入れた人は4:00から並んでいたという。)
すでに人があふれているので、店の前には並べず、別の場所に並ばされる(淋)。
「いや〜、でもね、これがね、待つ価値があるんだよね〜。ほんっとにすごいからさ〜。中に入ると時間を忘れるんだよ。みんなゆっくり食べるから、なかなか出てこないんだよ。めちゃめちゃ気持ちよく食べさせてもらえるからさあ〜。」
一ヶ月前に行ったときにいかにすごかったかを、F盛氏から何度も何度も聞かされながら、
待つこと1時間40分。
「いらっしゃ〜い!お待たせしてすみませんでしたね〜!今日も出張です?」
お兄さんがF盛氏を覚えていることに驚きながら、口に運ぶトロ(やさしくあたたかくとろける)、ひらめ(ボリビアの岩塩)、ほっとする玉子焼き、どこまでも貝らしいホッキ貝、濃厚ウニのあとにすずやかなタチウオ、妙においしいエビ、ヅケの弾力と味の魅力、つぶつぶ明太子の巻物、ほろほろくずれる穴子。
おまかせメニューの「生いくら」は、いくらの表面がさらっとしていて、寿司でありながら「水」も表現されていた。
そもそも、寿司飯自体がおいしい。
普通、すしを食べると、「あ〜寿司に行った」って思うけど、寿司大はネタ一つ一つの個性が出てるから、「トロとひらめとウニと○○と◎◎をを食べました」といいたくなる。一つ一つ、かなり違う料理を食べた感じ。
いや〜すごかった。
お兄さんたちの声や感じが、明るくて涼しいのもいいんだろうな。
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2006年8月27日(日) |
アートな日 |
iいつものように、美術館でフォーカシング研究会をしていたところ、そこでなにやらイベントが始まった。
http://linshihpao.com/j/news/painting_event.html
市民から集められたおしゃぶりに、色をつけて、クリスマスツリーを作るんだとか。
私も何個か色をつけた。そのうち1個は、今年を記念して、冥王星にした(笑)。
通りすがりの人たちが座って、色をつけていく。そして、童心にかえっていく。
お互いの会話も、おのずと「あ、それ、いいですね」「そっちも、面白いですね」なんてことになっていくから、平和だ。
最終的には作品で平和を訴えるのだろうけど、過程自体で平和を作るのだな、と思った。
27日現在で、色がついているのが12万個。「目標の20万個に向けて、天神あたりでイベント(着色の会)をするかも」とのことだった。
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2006年8月25日(金) |
冥王星というキャラが流行りそうな予感 |
冥王星が、太陽系の惑星から除外されるという。
小さいから除外だなんて。
軌道が他の惑星たちとちょっと違うから除外だなんて。
わびしい。
わびしいぞ。
冥王星に感情移入している自分がいる。
40歳近くになって、
「お前はね、うちの正式な子じゃなかったんだよ」と言われた気分。
「そうだったの。
私は平気よ。
惑星と見られようが、見られまいが、私は私だもの。
ずっとずっと昔から、私は私だったんだもの。」
教科書など書き換えを要するので、「大きな社会的影響が出そうだ」と新聞等には書いてあるが、お金や労働時間の上で影響を受ける人は、じつはそんなに多くないと思う。
けれど、メンタルな意味でいろんな感慨にふける人とか、「俺はどうせ冥王星みたいな存在なんだよ」なんて言う人は、けっこう出てくるかもしれない。
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2006年8月16日(水) |
結局は好き好きということですね |
映画が終わって、トイレに行くと、若い女の子たちが話していた。
「‥普通じゃなあ〜い?」
「‥普通よねえ〜,、べつに‥」
彼女たちも、この映画に対する酷評をあらかじめ聞いていたのだろう。
私も、その意見に一票。
オタクである夫の長い解説が始まる。
夫「僕は映画として、アリと思ったけどね。説明がほとんど無いね。どんな過去か分からんままやろ。“お○ぎさん”は文句言うやろうね。“お○ぎさん”は、説明不足の映画は、大嫌いやけんね。」
私「説明不足といえばね、最後のほうで男の子が、○(生物)を抱っこしようとして、意味深な顔をしとるやろ。あの意味が分からんかったね〜」
夫「は、あれが分からんかった? ぜんぜん(見る側として)駄目やん。」
私「もうちょっと説明してくれんと‥‥」
夫「そんなとこ説明したら興ざめやん。僕は、あんまり説明のない映画のほうが好きやね」
新天町の銀杏の木という喫茶店に入り、さらに喋りは続く。
夫「あの人(監督)はさ。お父さんとは違って、印象派みたいな絵が好きなんよね。雑とか言われとうけどさ。」
私「あーそうなん。でも人物はアニメっぽいけんギャップがあるやん。人物も印象派にしたらいいやない」
夫「それは無理やろうけど‥。」
私「印象派みたいな絵が好きやけん、脚本も、曖昧にしてあるってこと?」
夫「そうやね、雰囲気を味わうものやね。」
いくら酷評されても、それが好みで、自分のしたいことを実現したのなら、本望だったのだろう。人間は、自分のしたいようにするのが一番だ。
私「評論家にはいろいろ言われたっちゃろうけど、一般の人には、“普通じゃな〜い?”、って言われよったけん、いいやろ。」
夫「‥‥監督は、分からん人たちに、普通じゃな〜い?、って言われてもうれしくなかろうけどね。」
まあ、私と、おトイレの女の子たちの感想は、バリ島に行って現地のごはんを食べて、「普通じゃな〜い?」と言っているようなものなのかもしれない。
夫のしゃべりは延々と続いていった。
「で、竜○×○×○×○×○×○×○×○×○×○×○×○×○×○×○×○×○×○×○×○×○×○×○×○×、このコーヒーうまー、○×○×○×○○×○×○×○×○○×○○×○×○×○×○ユーモアがなさす○○×○×○×○×○×○○×○×○×○×○○×○×○×○×○‥」
要は、オタクの人たちの突っ込みどころ満載で、それはそれで、味のある映画なのかもしれない。
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2006年8月11日(金) |
誰もいないし〜 |
来てみたら図書館が休みだった。がーん。
「何でも体験記」に、短いものをUPしました。まあ、木の写真集のようなものです。
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