空気を感じることは、私にとって幸せとなった。
大勢の人の中にいるとき、私は、あることに感動した。
「こんなにたくさんの人が居るのに、差し迫った殺意が無い。」
現代は地球全体がレベルを上げてきている、とthが言うのを、あのときは話半分に聞いていたが、実際にそうなのだろう、という気がしてきた。
また、自分自身については、何かを意識的に選ばなければという焦りが少なくなったように感じた。
いろいろな時代をすごした前世があり、どの人生も修行だと考えれば、どのような道を歩いていても意味がある。
ところが、良いことばかりでもなかった。
どういうわけか、胸を締めつけるものが、発作のように襲ってきた。仕事など、何かに集中しているときには意外と出てこなかったので、周りの人は気付かなかったと思う。
目を閉じて、息を深く細くし、背中を意識するほうが楽だった。
私は、その感覚のことを誰にも言わなかった。どう言ってよいか分からなかった。
平井氏には、言う暇が無かった。
「劇的で急速なセラピーには、揺り戻しがつきものだ」。恩師の言葉が頭をよぎる。
thには、1週間後にメールをよこすようにと言われていたので、書いた。
返事が来た。
「かなりの変化があったみたいで、良かったですね。胸の苦しみは、おそらく奥底にあったものが出てきているのでしょう。これからもっと不思議なことが起こって来ますよ。」
‥‥猛禽の辞書に、ネガティブは無いらしい。
セラピーの手法が違うと、様々なことについての判断が時としてまるきり違ってくるものだ。
1ヶ月後。耐えかねた私は、2回目の予約を入れた。
痛みが強まり、もうこれ以上の我慢は無理だと思った日、女の双子を産む夢を見た。
健康な双子が並んで、狭いところに寝ていた。
目が覚めると、喜びが満ち、痛みは無くなっていた。
双子に、イメージの中で「なってみる」と、勝気な方と、今の自分に似た内気な方がいるようだった。
もう、何がなんだか訳がわからない。
催眠で人は、確かに変化する。
しかし、無意識の領域への治療は、それによって起こる変化もまた、多分に無意識的である。
その後、苦しみは、もう苦しく無い程度に、弱まってはいたが、背後にまだ少し感覚が残っているのが分かった。
うんと薄くなったその感覚に注意を向けると、確信はもてないが、身に覚えのある感じに似ていた。
中学校の頃から私の中に時折出てきて、少し苦しく、やり場に困った。
あえて名前をつけるなら、「対象を選ばない愛」。
私は、当時からそのように命名していたが、誰にもその言葉を打ち明けることはなかった。
そして予約日の11月4日、再びインターホンを押すときには、私は持病の気管支炎に煩わされていた。
もう、自分の主訴がなんだか分からなくなったので、ただ無心に行こう、と心に決めた。
☆ 催眠療法体験記(3) 序
☆ 催眠療法体験記(3) 主訴
☆ 催眠療法体験記(3) #1
☆ 催眠療法体験記(3) #2−1
☆ 催眠療法体験記(3) #2−2
☆ 催眠療法体験記(3) その後
☆ 催眠療法体験記(3) #3
☆ 催眠療法体験記(3) #4−1
☆ 催眠療法体験記(3) #4−2
☆ 催眠療法体験記(3) 結

催眠療法体験記(3)
その後