SPECIAL COLUMN

各業界の最前線を走り続ける“九芸卒”の先輩たちから、熱いメッセージ。

一も二もなく「笑い」がすべて。 人を笑わせる快感に取りつかれた。

  • 作家、演出家、俳優松尾スズキ
有名役者がひしめく「大人計画」主宰。作家、俳優、演出家、脚本家、映画監督などで活躍し、マルチな才能を発揮。その存在感を不動のものとしながら、日本の演劇シーンに多大な影響を与えている松尾スズキさん。作品の根底にある「笑い」への探究心を伺った。

幼少時の入院生活がきっかけで漫画にハマった松尾さん。小学生の時にはすでに「漫画のようなもの」を描いており、漠然と将来は漫画家志望に。好きなものは「笑い」のあるもの。描いていたのは、赤塚不二夫さんを彷彿とさせるギャグ漫画だった。

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「僕は本当に絵しか取り柄がなくて、コミュニケーション能力に欠けた子供だったので(笑)、このまま社会に出るのは良くないと思い九芸に進学しました。ずっと自分は漫画が得意だと思っていたんですが、九芸の『漫研』は、あの北条司さんが出ているくらいレベルが高いところ。僕は赤塚不二夫さんが描いているような漫画を描いていたので、何となく居づらかったんです(笑)。『漫研』の部室の斜め前に『演劇研究会』がありました。当時演劇には全然興味がなかったんですが、ものは試しと思って入部してみたんです。芝居だったらストーリーも作れるし、思い描いた人物を演じることもできるし、何か面白そうだなと思ったのがきっかけです。」

「漫研」を退部し「演劇研究会」に入部。部員は7〜8名ほどと少なく、松尾さんにとって非常に居心地が良かった。遠方から通っていたこともあり、授業の空き時間などを利用して、ひたすら部室で戯曲を読む日々。そこで当時のアングラ演劇ブームの作品に触れ、あることに気付く。

「芝居っていうのは、僕が思っていたようなドラマとは違うところで動いているものだということを知りました。それまでは漫画のストーリーを書く事が非常に苦手だったんだけれど、いわゆるポップな物語をうまく作れなくて。こういう観念的な終わり方をしてもいいんだと刺激を受けました。自分も書いてみたいと思ったんですよ。大学2年の時に芝居を書いて、演出して、出演するという機会を初めて得ました。その体験がすごく刺激的で。元々漫画を描いていたことが大きかったかもしれないですね。ストーリーを考えて、キャラクターを動かして…ということを当たり前にやっていましたから。」

自ら書き、演出して、出演する。最初から総合的なアプローチをとっていたから、現在のマルチプレーヤー・松尾スズキが出来上がった。

「糸井重里さんや南伸坊さん。学生時代は、当時のサブカル文化人の方々がすごく輝いて見えたんですね。あんな人たちに混じれたらいいなぁと思っていました。」

卒業後は東京で印刷会社に就職するも、身体を壊し退職。フリーターをしつつ、小劇場に足を運ぶ毎日を送る。それからイラストの仕事などで細々と食べていきながら、漫画も描き続けていた。劇団「大人計画」を旗揚げしたのが26歳の時だ。ほどなく劇団は軌道に乗り、徐々に映像やCMなどの仕事も舞い込んでくるように。不遇の時代を乗り越え、掴んだチャンス。その躍進を支えた思いとは。

「僕は小さい頃から出来ないこと、向いていないことがとにかく多すぎて(笑)。コミュニケーション能力も低いし人見知りなんだけど、この場所で頑張らなければどうするんだという背水の陣みたいな想いで必死にやってきました。あと、やるからには“笑い”をとりたい。もともと昔から笑いに憧れていて、人を笑わせるって何て快感だろうって思ってきたクチですから。僕にとっては一も二もなく笑いがすべて。快楽の追求ですね。」

最後に今後の展望、学生へのメッセージを聞いた。

「自分のオリジナル脚本で映画を撮ったことがないので、次はオリジナルに挑戦したい。あと、やっぱり絵が忘れられなくて(笑)。いつかやろうと思って、キャンパスも、筆も、絵の具も部屋に置いてあります。俳優の絵を描きたいですね。顔が描きたくてしょうがないです。僕はどこかで自分を“喜劇人”と位置づけしている部分があるんです。“喜劇人”たるもの、自分が主演のコメディーを生涯に一本は作っておかないといけないと思っています。古くはチャップリン、バスター・キートン、皆がやってきたこと。どんな小さい形でもやっておきたいと思います。九芸を目指すような人たちは、平均化されないでほしい。変に大人になる必要なんてないから、バカなことをどんどんやってほしいですね。」

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