「絵は幼稚園くらいの時から好きでしたね。絵を描くと友達が喜んでくれたので。中1くらいの時に『宇宙戦艦ヤマト』をはじめとするアニメーションブームが起こって、大人になってから、アニメを仕事にすることができるということを知ったんです。高校卒業後にすぐアニメーターになる予定でしたが、ワンクッション置いた方が良いと思って九芸に進学しました。」
九芸に進学したことで見識が広がったと話す湯浅さん。大学では、デッサン、色彩、油絵など幅広く絵の基礎を学びながら、バイトにも精を出していたとか。
「アニメーションに必要なのはデッサンだと思っていたので、特に一生懸命やっていました。まわりの皆とはちょっと目指すものが違ったのかもしれません。キャンパスにも割と一人でいるほうで、あまりワイワイやる方ではなかったかも。(笑)でも、視野や見識が広がったと思います。」
卒業制作は輪廻転生やフードチェーンをテーマにしたものを制作。「あまり評判は良くなかった」と笑うが、意外にも、その頃の想いや作風が今の作品に活きているという。大学で生まれた感情を「世界がパッと開けた感じ」と語るが、このような感情をテーマにしたのが、2004年に公開となった初監督作品『マインド・ゲーム』だ。この作品では、毎日映画コンクール大藤信郎賞、文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞など名だたる賞を総なめにし、一つの転機になったといえる。
「“雑多な中に自分がいる世界の面白さ”これが大学の時に強く感じたことです。20歳くらいの頃、ふと、『世界が開けた』と感じたエピソードがあります。絵を描くことはすごいことだと自負していたので、俺は他とは違うんだぞ、という優越感みたいなものがあったんですが、世の中の創造物はすべて誰かが作ってデザインしていることにふと気が付いた。それからちょっと大人しくなりながらも(笑)やっぱり世界ってすごいんだと感動しました。この時の思いがその後の作品に影響していると思いますね。」
2013年にアニメーション制作会社「サイエンスSARU」を設立。実力派スタッフの総力を合わせ、アメリカのテレビアニメのエピソード制作(監督・脚本・絵コンテ)に関わったり、今回の『夜明け告げるルーのうた』のようなオリジナル作品にも積極的に挑戦。活躍の場は広がり続けている。そんな湯浅さんが、制作をする上で一番大切にしている想いを聞いた。
「臨機応変さですかね。何が起こってもうろたえないというか、アクシデントが起こっても、その状態を楽しめるようにすること。常にいつも楽しく仕事をしようという気持ちがありますね。完成するまでの過程はお客さんには関係ないので、色々なことに耐えうるようにしています。(笑) チームをまとめる監督として、何に対しても最善を尽くせるようにしています。」
2016年の『君の名は。』のスマッシュヒットを布石とし、今、日本のアニメーション映画はますます注目を集めていると言っていいだろう。そんなアニメ熱の余韻覚めやらぬなか公開される2作品。否が応でも期待が高まる。
「なかなかヒットに恵まれなかったので(笑)今回はヒットさせたいという想いでこの2本をつくりました。より多くの人たちに喜んでもらいたいという気持ちと、自分が楽しんで作るという気持ちを掛け合わせて、これからも制作をしていきたいですね。」
最後に学生たちへのエールを語ってもらった。
「成功かそうではないかだけを求めると、結果が出ない時に疲れるだろうなと思います。一番は自分が何を描きたいか、どうしたいかかなと。結果よりも、自分が何をしたいか、最終的にどうなりたいかをはっきり決めて、そこへまだ届くことのない日々も、そっちへ進んでいくことを楽しめれば楽だと思いますね。」
Ⓒ臼井儀人/双葉社・シンエイ・テレビ朝日・ADK 2014
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