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- 特集 SPECIAL FEATURE 01
Akira Kitajima
フォトグラファー 北島 明
福岡県生まれ。九州産業大学芸術学部写真学科卒業。 1990年 パルコ主催「期待される若手写真家20人展」入賞。1991年朝日広告表現技術賞。1994年に初の写真集「UNTITLED」刊行 etc.広告、音楽、雑誌、カタログ、写真集、web、映像等で活躍中。近年も、octopath 「octave/-daydream」ジャケット、UFC平良達郎アーティスト写真、大人計画「僕の穴、彼の穴」舞台ポスター(松尾スズキ脚本)など多数を手がける。
「OCTAVE/DAYDREAM」
OCTPATH
CDジャケット 2024年
Ryo Shiotani
写実画家 塩谷 亮
東京都生まれ。武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業。 2008年から文化庁新進芸術家海外派遣研修員としてイタリアに留学。静謐かつ深い精神性をたたえた作品に定評があり、写実画家の第一線で活躍中。著書に「塩谷亮画集」(求龍堂)、「塩谷亮の写実絵画教本」(芸術新聞社)などがある。2026年4月、熊野那智大社(和歌山県)にて那智の滝を主題に制作した作品の発表を予定している。
「碧音」油彩/板
「相韻」油彩/キャンバス
「白い部屋」油彩/キャンバス
想いがないと良いものは写らない
北島)
僕は絵画寄りの写真に憧れて、最初に出した写真集は暗室で合成をして作りました。つまり、絵にしたかったんです。塩谷先生の絵は逆で、写真に近い感じがありますね。
塩谷)
そうですね。僕の絵は写真的で、一見するとスーパーリアリズムだと思われるのですが、実は考え方は逆なんです。スーパーリアリズムは「感情をなくして描写に徹し、絵画とは何かを問題提起すること」がひとつの表現方法なのですが、僕はむしろ対象物への愛情を持ち、とことん理解をしたうえで描きます。なので描く時に、とにかく感情を込める。その日その日で違うモチーフの見え方や毎日の環境の変化、そういうものをレイヤー状に描くので、30日かけて描けば30層になっていく。対象との間にそういう生々しさやリアリティがないと、まず絵にできないと思っています。
北島)
僕も昔は暗室で多重露光をして、版画と同じ手法で作品を作っていました。だから「レイヤー」という話はすごく心に響きます。僕が先生の絵に一番感じたことは、写真家のように光のことが分かっていらっしゃるということでした。スーパーリアリズムの絵は大体全部に光が回っていて、影がほぼ無いことが多いのですが、先生の絵はそうじゃない。だから今のお話で納得しました。光も含めすべて見ているんだなと。そこがすごく面白いと思います。僕はアシスタントによく「写真は念写だからね」と言うんです。つまり「想い」がないと、良いものは写らないと思っています。
スマホでパッと撮って終わりでは悲しい
塩谷)
いま、ルーブル美術館などで鑑賞している人達を見ていると、有名な作品の前でスマホを見てカシャッと撮ったら次に行くんです。「あ、この人いま肉眼で見ていなかったな」と思います。きっと撮ったら「見た」と思い込んでるんですね。若い学生にはそういう感覚を持っている人が多いなと感じます。
北島)
わかります。みんな「パッと撮って終わり」に慣れてしまってる。それはすごく悲しい。だから僕は学生に「1枚の写真を5分以上見なさい」と言っています。写真じゃなくて物でもいい。このペンをデザイナーの人はどう考えてデザインしたのか。見て、そこに想いを馳せていく。塩谷先生の絵の描き方はまさにそういう「ものを作るとはどういうことか」の基本だと感じます。
塩谷)
描くもの、撮るものをよく見る。そこからものづくりは始まるんだっていうことですね。
北島)
その通りです。もうひとつ言うならば、みんな小さい頃から色んなものを見てきているから、画を作るのは上手なんです。なので「既視感が無いもの」を作りなさいと言っています。見たことのないものを作ることはすごく大切じゃないかなぁと思うんです。焼き直しはいくらでもできる。そこから始めてもいいと僕は思うんですけど、最終的には見たことのないものを作るほうが、広がりができて面白いんじゃないかな。
塩谷)
僕も描く時に、完成図はビジョンとしてあるのですが、「完成ありき」で進めると予定調和になってしまうので、必ず自分の感情や違和感などを入れながら描きます。
北島)
ではどこかにハプニングを楽しんでいる部分があるのですか?
塩谷)
そうです。どんな絵ができるのか自分が楽しみにしてるんですね。完成図に近づけるだけではどこかで守りに入ってしまうので、必ず途中に「無駄な仕事」というものを入れます。例えば、くっきり浮かび上がってきたものを、白い絵の具を薄く塗って一度奥に追いやって、また引っ張り出してくる、みたいな。完成までの時間は延びてしまうのですが、やらないと絵が薄っぺらくなっちゃうので。
北島)
ああ、おもしろいなあ!
モチーフのセレクトの中で自分を知ることもある
塩谷)
北島先生は、ミュージシャンやアーティスト、俳優の方を撮影することが多いですか?
北島)
仕事はそうですね。ただ、もともと僕は作家から始まったんです。1990 年に伊勢丹がI.C.A.C.ウェストン・ギャラリーをオープンした時、僕はそこで最初の日本人作家に抜擢されました。作家を始めたきっかけは、弟が水の事故で亡くなったことです。親父が写真家だったので、親父を喜ばせたい一心で写真の道に進みました。最初は自分探しのようにやっていたところがあるのですが、ある時、女性が水の中でうつむいているような写真を作っていたら、涙が止まらなくなっちゃったんです。なぜ泣いたのか自分でもわからなくてずっと考えていました。そしたら「僕は弟が死んだことが悲しいのではなく、母親が悲しんでいる姿を見て、自分が悲しんでいるんだ」と分かった。その時に、写真とは色々なことを教えてくれるひとつの道具なんだと感じて、それで作家をやり始めました。でも本当の「言いたいこと」なんていくつかしかないんですよね。それで飽きちゃって、商業写真家になりました。合間合間で作品を作ってはいますが、昔みたいな命を削るような作り方はしていません。あの頃は暗室にこもりすぎて体中が酢酸臭くなるほど集中してやっていましたから。ただ最近は、映像に挑戦してみようかなと思っているんですよ。動画は「時間」という束縛ができますからね。そこで何を感じさせるかということをちょっとやってみたい。絵画的なというか、写真的な動画をやってみたいです。今みんながやっているような編集や展開で見せるようなものではなく、もっとゆっくりしたものを作ってみたいなとちょっと思っています。それが今の僕の夢です。塩谷先生は、僕が母のことに気付いたように、絵を描くことで自分で知らない自分を見つけることはありますか?
塩谷)
もちろんです。モチーフのセレクトをする中でもあります。僕は対象物へのリアリティをテーマにしてきたので、モチーフはどうしても日常生活内に限られていたのですが、ある画商さんから「あえて那智の滝や富士山を描いてみるのも良いんじゃないか」と言われました。僕はそういうものを一番避けてきたんです。自分が親密に感じられないものを描くと、それはリアリズムにならないんじゃないかと思っていたので。でもその画商さんに半ば無理やり誘われて(笑)、伊勢神宮から熊野を歩き、那智まで行く旅をしました。そこで圧倒されたんです。造形物としてもそうですし、自然信仰って確かにここから芽生えるだろうなと思ってしまうほどでした。それで、「これは自分のこれからに繋がる体験だ」と感じて、結局、そこから3回通ってやっと「那智の滝を描こう」と思いました。そうなると、那智の滝にイーゼルを立てて描くわけにはいかないので、どうしても写真を使うことになるわけですが、1枚の写真で描こうとするとやっぱり写真のトレースになってしまいがちです。なので季節を変えたり、早朝に行ったり夕方に行ったりしました。そうすると景色が全部変わりますから。水量が少なく乾いてる時とか、大雨の後にゴーッと落ちてくる時とか、そういうものをすべて融合して、すごく大きな2mを超える那智の滝を描きました。そうしたら、ありがたいことにご縁があり熊野那智大社で展覧会を開けることになりました。境内に展示場所を提供いただくのは史上初なのだそうです。そんなふうに、モチーフとの出会いにも学びはあるので、やはり私小説みたいに閉じちゃダメだなと、50歳位になってやっと思いました。縁遠いと思うものにも積極的に挑戦して行かないと新しく開けないな、と。
後頭部や背面を感じながら描く。
塩谷)
現代のデジタル社会、情報社会のスピードはものすごいですが、そこで「立ち止まる」ということを、これからの人にはしてもらいたいです。そしてしっかりものを見てほしいですね。なんでも「見た」という気になっているばかりで、「本当に見てますか?」と問いたいです。例えばものを5分間見た後すぐに「想像で描いてください」と言うと思ったほど描けません。しかし5分間観察するようにスケッチした後にまた「想像で描いてください」と言うと、ほぼ同じものが描けます。つまり、「見る」と「観る」の違いですね。ものは見ようとして初めて見えてきます。SNSなどで興味を引く画像が流れてきたときにすぐに影響を受けないで、まずは身の回りの大切と思うものをじっくり観察する、そんなところから始めてほしいと思います。
北島)
本当にそうですね。僕も全く同じことを考えてしまいます。
塩谷)
ものを見る行為ってデッサンにも繋がることですが、結局「見方」なんですよね。例えば、人を描こうとすると、正面だけでなく、後頭部や背中を感じながら描かなきゃいけないんです。肉眼で、後ろに回って見たり、横から見たりすると、「あ、こんな分厚いんだ」とかね、いろんな発見がある。
北島)
ドラマ『北の国から』の資料館が富良野にあったのですが、そこに(主人公である)五郎さんの生まれてから死ぬまでの年表があるんです。ドラマでは、この一部の時間しか描かれていないのに、そこにはすべてのことが書かれている。「後頭部を見る」というお話を聞いて、そんなことを思いました。
塩谷)
ものの見方の話って絵画や写真だけじゃないと思うんですよ。デザインでも建築でも全部に生きてくると思う。だから若い人には是非、ものを見てほしいですね。
北島)
素晴らしいです。僕も同じ意見です。