3日目 『より深く理解し、実践に生かす ―身体の痛み、トラウマ、そしてもっと―』 #2後半 トラウマ <トラウマの定義ということに関して、ジェンドリンの言葉を紹介したいのですが、“何がその次に来るのかっていうのを、ライフプロセス自体が知っている”、というふうに言っています。 例えば、赤ちゃんが生まれたときに、赤ちゃんは親からの愛を受ける準備ができている。 有機体としての正しさ、つまり生き物として正しい方向を知っている、ってことですね。 じゃあ赤ちゃんが生まれたときに怪我をしていて、ものが飲み込めない状態だったとします。 そういう状況だったとしても、赤ちゃんにとっては食べ物を飲ませてもらう、そのニード自体が変わるわけではなくて、食べ物をもらえない状況があったとしても、それを求める方向性が変わってしまうわけではないんですね。 何時間か食べ物が与えられず、そのあと与えられたとしましょう。赤ちゃんにとってはすごく怖い体験でしょう。 でもそこでお母さんなり養育者が抱えて、赤ちゃんに大きなスペースを与えることができれば、赤ちゃんは泣いたりすると思うんですけど、それがトラウマになってしまうことはないんじゃないかと思います。 そういう意味では、 トラウマが起こるのは、その人が必要としているものがかなり長い間供給されないという状況を指していて、もともと持っているライフプロセスが、一旦さえぎられてしまっている。 と同時に、それによって引き起こされた恐れや痛みと一緒に居られないときだ、というふうに考えられます。> あっ、これが、アンさんのトラウマの定義か。 いい、これはいいぞ。 DSMによる定義、 「自分または他人の身体の保全に迫る危険を、その人が体験し、目撃し、または直面した。」といったトラウマの定義は、 もちろん医療領域的には必要な定義ではあるだろうけど、 この、アンさんの定義は、体験者が「これがトラウマなのかどうか」を、自分の体感ではっきり決めることができる。 体感的に納得できる定義だ。 <ですので、一つはその人が必要としているものが与えられず止まってしまったという事態があります。 それによって引き起こされた非常に恐れや痛み、それが十分に扱われないということが2つ目にあります。 生命の前に進んでいく力が止められてしまうと、そこを何とか解決しようとして、そこからいろんな部分って言うのが現れてきます。 自分の例を少し挙げましょう。 私は子どもだったとき、お父さんに愛情を求めて向いたときに、彼はすっと向こうを向いてしまった。 本来の正しい方向性というのは、子どもは親に愛情を求めていくし、親は子どもに愛情を与える、 それを身体は知っているわけです。 ですが、正しい方向の体験が起こらなかったので、そうすると体験がカプセルに閉じ込められている状態になって、そこからいろんな部分が出てきて、なんとかこの問題を解決しようというふうに働きます。 私のある部分の一つは、すごくいい学生になって御父さんから愛してもらおうというふうにしました。 他の部分は、そんなことは忘れてしまって、タバコ吸っちゃえと。 ・私は愛されたい。 ・私は私のままでいるんだ。 本来はこの2つは同じできごと、同じエネルギーから生まれた部分だけども、この2つが出会うときには、お互いを敵だというふうに認識してしまう。 ディフェンダー、コントローラー、2つの部分が戦うんですね。 実はこの葛藤の下には、より大きな痛みがあって、この2つが実は、下の痛みを守ろうとしているかもしれない。 この2つを十分に聴いて行くことで、すっと脇によけて、その下にあるより深い痛みへのコンタクトを可能にしてくれる。 この、より深い痛みっていうのは、小さな赤ちゃん、傷ついている赤ちゃんのように感じられることも多いです。 この上の部分が感じているのは、痛みがとても大きすぎて手に負えない、というふうに信じているんですね。 もし自分が大きな自分としてかかわれたならば、この痛みの部分は怖いものではないですし、 生きていくうえでのいろいろなエネルギーを持っていて、それは本質的にはいい感じとして感じられるエネルギーを持っている、それを感じられるはずなんです。 そういう意味では一旦止まってしまったプロセスがまた前に動き出すようになっていくプロセスは、とても美しいものであると思います。> 休憩が開けたら、黒板には、手の下に何か嫌そうなものがある、独特な絵が描かれていた。 <ペアのエクササイズをしたいと思います。ディフェンダーのエクササイズの教示の 3番を変えます。 1. ゆっくり時間をとって、あなたのからだに注意を向けましょう 2. 次に、内側のほうに注意を向けて、からだの内側の部分に気づきましょう 3. 時間をとって、あなたに注意を向けてもらいたい何かを内側に招いてみましょう。それは悪い感情かもしれないし、痛みにまつわる感じかもしれません。 4. それが自分のからだでどのように感じられるか、注意を向けてみましょう 5. それがどんな感じなのか、描写してみてもいいかもしれません 6. あなたの中のその部分に、優しく「こんにちは」と声をかけてみるのもよいでしょう 7. それが今あなたからどんな関わりを求めているのか感じてみましょう 8. それと一緒にただそこに居ることがOKかどうか、感じてみましょう 9. 少し時間をとって、それがどんな気持ちでいるのか感じてみましょう 10. もしかしたら、それが、何かからあなたを守ろうとしているのかも知れません 11. それに対して、「ちゃんと聞えているよ」と伝えてあげましょう 12. それはあなたに起こって欲しくないことをイメージや記憶で見せようとしているかも知れません 13. それに対して、「守ってくれてありがとう」と伝えてみましょう 14. まもなく終わっても大丈夫かどうか感じてみましょう。セッションが終わった後でも、それがあなたにどんなふうに一緒にいて欲しいかを知らせてくれるよう誘いかけましょう 15. あなたのからだとからだが体験したプロセスに感謝してもいいかどうかみてみましょう (オプションで)より深い痛みについての教示が3つあります。 もしフォーカサーが、自分の中に、深い、より傷ついた感じを感じられた場合には、このインストラクションを読んでくださいとリスナーに頼んでください。 @「ゆっくりやさしく行きましょう。」 A「この部分とただ一緒にいるということ自体が(すでに)大きなステップですね。」 B「その部分が、それがそうしたいだけ、そのように居ていいよ、(居てもらってもいいですよ)と伝えてあげてもいいかもしれません。」 この3つの教示を見てもらうと分かると思いますが、とにかくゆっくり行くというのがポイントです。 より深い痛み、傷ついた部分というのは、シャイ、恥ずかしがりのことが多いですし、それとは別の部分に対してナーバスになっていることも多いので、とにかくゆっくり丁寧にやっていきます。 Bは、それがそのように居たいだけ居ていいよと伝えます。 そういうふうに言えることがある意味、究極の、大きな自分としての態度を可能にすると言えると思います。 この前、身体的な痛みについて話していましたけど、より深い痛みも、痛みに対するときと同じように、どんな感じかを描写していくのが大事です。 > このようなお勧めのあと、1人につき17分間のペアフォーカシングを行なった。 アン・ワイザー・コーネル来日ワークショップ福岡2011年 3−(6)に続く |