(*個人あるいは個人的グループに利用される場合以外の無断転用をご遠慮願います。)

1 フォーカシングとは

 「フォーカシング」この言葉は、英語の「focus」つまり、焦点を合わせるという意味の言葉がもとになっています。
 「今よりももう一歩深く、自分の思いに触れること」それが、フォーカシングのやろうとしていることです。

 フォーカシングを見出したのは、アメリカのジェンドリン(哲学者・カウンセラー)という人でした。
1960年代、ジェンドリンと仲間たちは、カウンセリングが効く場合と、効かない場合とにはどんな差があるのか、という研究をしていました。彼等は膨大なカウンセリングの録音テープを分析しました。カウンセリングの手法の違いだろうか。カウンセラーがベテランか、初心者かの違いだろうか。…それらの要因は、驚いたことに、なんの関係もありませんでした。
 カウンセリングの成果を予測する唯一の要因は、「クライエント(相談者)の話し方」だったのです。
 カウンセリングで効果があるクライエントは、言い淀みながら、自分の心を表現する言葉を探していきます。「ええっと…つまり、なんと言ったらいいんでしょうね…」「…というか、いや、むしろ、という気持ちがしますね」といった話し方です。このようにして言葉をさがす人は、注意深くじっくりと自分の心に触れており、カウンセリングの場で気づきがあるのです。
 逆に、そうした探索的な作業をしないクライエントに対しては、いくら面接の回数を重ね、カウンセラーががんばっても、カウンセリングの進展は難しいようでした。例えば、
 ・ 事情を話せばカウンセラーが答えをくれると思っている
 ・ 「腹が立つ」「悲しい」といったはっきりとした感情だけを訴え続け、そこから先に進まない
といった人です。

 ジェンドリンは、このような探索的な態度のプロセスを、教えられるようにならないかと考えました。そこでジェンドリンは、自分が何かを発見するときの自分の心を注意深く観察し、

 「何かはっきりしない、漠然としたからだの感じ」

これに注意を向け、触れつづけていることが大切なんだと気づきました。
そして、これに注意を向けるプロセスを「フォーカシング」と呼んで世に広めました。





2 フェルトセンスとは

 この「何かはっきりしない、漠然としたからだのかんじ」を、ジェンドリンはフェルトセンス(felt sense)と呼ぶことにしました。日本語で直訳すると、「感じられた意味」となり、かえって分かりにくいので、そのまま「フェルトセンス」と呼びます。
フェルトセンスは純粋な身体的感覚(打撲の痛みなど)とは異なり、何らかの心理的意味を含んだからだの感じです。

 フェルトセンスは、私たちの日常生活の中で、「注意を向ければそこ(内側)にある」ものです。ただ、忙しすぎる毎日の中で、私たちはフェルトセンスの上を通りすぎていっているのです。私たちは子どものうちから大なり小なり、自分の思いなんか蓋をしておくほうがいいんだというふうにしてやり過ごしてきている(やり過ごさせられてきている)ので、よけい見えにくくなっているのです。
 しかしそれでもそれは、「注意を向ければそこにある」のです。
 例えば、疲れて乗り物に乗り込んだ時のことを考えてみましょう。この時に、目に見えるものだけでなく自分の心にも注意を向けてみるとします。見渡したらいくつか席が空いています。そこで「やった」と胸が明るくなり、その中から、なんとなくここがいいな、という気分がする席を一つ決めます。そこへ行くまでの間、「座りたいな、座れるかな」という気持ちが入り混じった軽い焦りと胸のドキドキを感じます。座ったらほっとして、胸のあたりが楽になります。しかし次の駅では他の人がたくさん乗り込んで、自分の横の席も、前に立つ人もいっぱいになり体が触れるぐらいになったので、「うわあ、混んできたなあ」「ちょっと嫌だなあ」という圧迫感、「でもまあ、座れただけよかったんだから」「あんまり嫌だ嫌だ思わないようにしよう」という気持ち、そういったものが入り混じったものを感じます。
 こんなふうに、ほんの短い間ですが、いろいろな複雑なからだの感じが生じているはずです。私たちの内側には、注意を向けると非常に多くの意味を含んだフェルトセンスが感じられます。

 フェルトセンスはフォーカシングの中核概念です。フェルトセンスに触れることができれば、それはフォーカシングができたということですし、フォーカシングを理解したといって過言ではありません。
 ゆったりとした気持ちになって、折に触れて、フェルトセンスを感じることが大事です。
 フェルトセンスと「一緒に時を過ごす」こと自体が、私達に癒しをもたらします。深い充実感を伴って「ああ、こういう感じが自分の中にあるんだな」「今自分は、自分に触れているなあ」と実感するものです。
 フェルトセンスに触れることの意義は、子どもと一緒に時をすごす意義によく例えられます。子どもに関心を持って一緒に過ごしていると、子どもはほんとうに喜びます。それと同じように、私達の内面は、私達に注意を向けてもらうということをとても喜ぶのです。





3 フェルトセンスに触れるプロセス

 フェルトセンスに触れつづけていると、フェルトセンスがひとりでに変化して感じが変わったり、自分がどうするのが良いかについて、自分の深い部分での判断が分かることがあります。

 例えば、こちらが心配して言葉をかけた人から、「あなたには関係ないよ」と言われた場面を想像してみましょう。
 このときのフェルトセンスは、双方の立場や文脈によって様々ですし、そのフェルトセンスがどんなふうになっていくかもさまざまですから、いろいろな仮想例を挙げてみます。

例)ある人は、「ぴしゃっとドアを閉じられたようで、胸が冷たくなるような感じ」がしました。その感じに触れ続けているとやがて、冷たさの中に息づく核のようなものがあることを感じはじめました。それは相手を思う気持ちの核のようなものでした。それが自分の中にあることが分かって楽になるとともに、「これを今すぐ相手に押し付けるのではなくて、この部分を自分の胸の中においておいて、もしも何かを求められたら力になろう」という気になりました。

例)ある人は「立ち入ったことをしてしまった申し訳なさと、寂しさが入り混じったような胸のもやもや」を感じました。それに触れていると、「ああ、さびしいなあ」という言葉が出てきました。そして、「そうだよね。正直言ってさびしいよなあ」と自分の残念さをしみじみ受け容れる気分になりました。すると胸のもやもやが白く変化していき、胸の中にあってもちっとも不快ではなく、自然な感じとして溶け込んでいくのを感じました。

例)ある人はそう言われた瞬間、「動きが止まるような、でも反論したくなるような」感じがしました。それを感じつづけていくと、自分の中で二つの動きがせめぎあってどうにもならないほどジャンピングしました。ここまで強い感じがするのはどうしてかなあと思いながら、その感じに触れつづけていると、ふと「もしかしたら相手もこんな感じなのかな」と頭をよぎりました。助けを求める気持ちも、求めたくない気持ちも両方強すぎて、とりあえず拒絶の言葉が出たのではないか。そう思うと、相手のこれまでのこととも合点がいって、よく理解できる気がしました。

 フェルトセンスにふれつづけていると感じが変るということは、子どもと時を過ごしているうちに、こちらが子どもを受け容れる気持ちが伝わって、その関係の中で自然に、子どもが新たな一面を見せてくることに似ています。
 フェルトセンスの感じが変わるということばかり期待して、早く早く変ってほしいと願うのは、良いことではありません。変れ,早く変れと念じながら子どもに接することが、決して良い結果をもたらさないのに似ています。変化してもしなくても、フェルトセンスと一緒に居ることはそれ自体で意義があるのです。





4 距離を取るという態度

 最近の人はキレやすくなっているのではという話がありますが、フォーカシングの考え方で言えば、フェルトセンスのような微妙な感じを感受できない人は、キレるという問題が生じやすいと言えます。
 例えば先ほどの話のような場面で、「あなたには関係ないでしょう」といわれたとき、「何をこの野郎」と激高する人がいたとしたら、それは
 ・ いろいろな色合いの感情(残念さ、むなしさなどいろいろなもの)を感じ分けられず、すべて怒りという一つの感情でくくってしまうが故に、怒りが大きく認識される状態
 ・ 感情や気分が小さなうちは感じ取ることができず、積もり積もって限界になったときに始めて感情を感じ、爆発している状態。
が考えられるでしょう。

 始終キレルということではないにしろ、私たちは時折、強い感情をもてあますようなことがあります。フォーカシングでは、強い感情をそのままの強さで触れ続けることは求めません。
 強い感情や、一色で塗りつぶしたようにはっきりした感情は、強い光を間近に肉眼で見るようなもので、それをじっと見つめていても何も生まれないばかりか、そのまま見続けていると心身を疲労させ痛める、とフォーカシングでは考えます。
 そこで強い感情(や、強い感情を思い起こさせる事柄)について、「適切な距離を作る」ということをします。例えばある学校行事がとても気になって、夜眠れないとします。このようなときに、その問題と適切な距離を作ります。つまり「明日になったら考えよう」などと言って、脇に置くか、つとめて別のことを考えるようなことです。フォーカシングこれをもっと視覚的に分かりやすく、イメージを使って、問題をからだから出して容れ物に入れるなどして、この辺りが丁度良いという距離を探して置きます。すると心から重荷が出て楽になりますから、寝れるわけです。距離ができれば、冷静にその問題の全体を見渡すこともできます。行事の中で自分が一番気になっているのはどのポイントなのか。どこは力を抜いていいのか。この行事の自分にとってのポジティブな意味合いは何か。などと、全体が見えてきて、前よりも楽になるわけです。

 とりたてて強い感情や辛い問題がない時でも、フォーカシングの「適切な距離を作る」という作業は役に立ちます。というのも私たちは知らず知らずのうちに心に荷物をかかえていて、その重さに気づいてないだけだからです。気がかりを一つ一つ、これがあるな、これもあるな、と確認し、一つ一つの置き場所を見つけます。心に浮かんでくる問題の全部を、棚卸して置きますと、思った以上に心が軽くなります。それだけ知らず知らずに抱えていたというわけです。このようにして心に浮かんでくる問題を全部体の外に置いていくワークをクリアリング・ア・スペースと言います。クリアリング・ア・スペースとは、心に一つの広い空間を作るという意味です。
 クリアリング・ア・スペースに慣れると、日ごろから心に空間を感じるようになります。





5 批評家の声

 さてフォーカシングでは、もうひとつ、距離の取り方に気をつけておいたほうがいいものがあります。それが、「批評家の声」と言われるものです。
 フォーカシングで内側に注意を向けていくといっても、内側の声や思いのすべてを均等に聞くわけではありません。
 私たちの内側には、自己批判の声があります。フォーカシングの最中にも、
  ・ 自分はうまくフォーカシングできているのだろうか
  ・ こんなにたらたらやっていて、いいのだろうか
  ・ (聞き手がいる場合)そろそろしゃべらないと、聞き手に悪いんじゃないか。
  ・ (自分の中から出てきたものに対して)こんな感じを持っていてはいけない。
といった思いがちらついて、集中できないことがあります。
 このように、自分を批判する気持ちのことを、フォーカシングでは「批評家の声」と呼んで、それに気がついたときに、なるべく脇に置くようにします。
 「批評家」は生活を送る上である程度必要な部分だから、私たちの中に存在するのかもしれませんが、それはたいてい、いつも同じような忠告を繰り返しています。ですから批評家の声そのものに注意を向けていても、あまり新しいものは出てきません。批評家の声に気を取られていると、もっと小さな、今生まれようとしている声を聞き逃してしまいます。
フォーカシングは、論の立つ大人(批評家)に少し脇で黙っていてもらって、内気な子ども(フェルトセンス)の声を聞く時間だと思っていただくと良いでしょう。





6 フォーカシングのスタイル

 フォーカシングは特別なものではなく、私たちが意識せずにやっていることです。日常でふと自分の感じに注意を向けるのもフォーカシングです。
意識して時間を取ってゆっくりフォーカシングをしようとする時、やりやすいように、いろいろな手順が考案されています。大きく分けて3つのスタイルがあります。

1) 何かテーマを選んで、それついての感じを味わう。
  ・ 気がかりなことについてのフォーカシング
  ・ 惹かれる芸術作品について
2) 今の自分の内側全体に注意を向け、気分やからだの感じを味わったり、表現する。
  ・ 今のからだの感じについてのフォーカシング
  ・ 絵画フォーカシング(こころの天気など)
3) 今の自分の内側にある気がかりを挙げ、置き場を探す(「クリアリング・ア・スペース」)


 さまざまなワークの中から、その日の自分の気が向くものを選ぶのが一番いいのです。

 フォーカシングのプロセスは、人それぞれ、その人のその日その時の状況で変ってくるもので、どのようになったらよいという理想形はありません。
 集団でフォーカシングをする時は、誰かが教示を言ってガイドをします。聞き手と二人でフォーカシングをする時(体験する人をフォーかサー、聞き手をリスナーといいます)は、リスナーがある程度ガイドをするかもしれません。
しかし、フォーカサーは教示の内容やペースに合わせなければならないということは決してありません。教示の言葉は参考程度に聞いて、もしも何か自分がしたくなったことがあれば、ぜひ、そちらの方に進むほうが実りがあります。そのように内側の感じに従い、内側が指し示す方向性に任せることこそがフォーカシングだと言えます。
 ですから、フォーカサーのほうで、フォーカシングの進め方に対して、
  ・ それは、よく分かりません。
  ・ もう少し時間が必要なようです。
  ・  この言葉をかけてほしいのですが、いいですか。
  ・ もっとこういうふうに進みたくなったのですが、いいですか。
といった発言をすることを、リスナーは歓迎するものです。

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