森川研究室ホームページ
気まぐれ日記
11月21日
面接するほうも、される方も、
お互いに、「これでよかったのかなあ、どうなのかなあ」と、思っているのでしょう。今日は推薦入試の面接でした。
無駄口叩かないで無難な答えをする方もおられれば、ある程度形式に従いながらも率直に持ち味を出す方もおられて、それぞれの方のキャラに惹かれたりもいたしました。
ずいぶん、練習してきておられて、「極めて大きな声と迫力、元気」を出さねばと、頑張っている方(高校)もありますけど、臨床の場合は、「はきはきと元気」であるというのは、受かるタイプの一つにすぎず、持ち味のまま、内省的で細やかな人もいていいわけなんです‥。また、ご自分について長所、短所などを語って自己アピールをなさる際に、短所として「一つのことに集中しすぎるところがあります」という答えをなさる方が続いて、(もちろん、本音でそれをおっしゃった方もおられたでしょうけど)それが過半数越えますとですね、、何か、塾や先生から仕込まれてきたんじゃないですか?と苦笑いいたしました。「集中しすぎる」ってのは、大学の先生好みの答えだと思われてるんですかね。臨床の場合は、「自分をある程度見つめることができ、自分の言葉で言うことができるか」、を聞こうとしているだけのことで、短所の内容(好感が持てる短所かどうか)によって判定するってことは、無いんですけどねえ。
共通してはずせないのは「質問の意味を理解して答えられるか」、というところで、あとは、いろいろなタイプがあっていいわけで。逆に言うと、規準が一つではなく、点数をつけるのはやはり難しいことです。大学生として、やっていけそうか、つまり「そのへんに居そうか」というあたりで判定しようとすると、いろんな人がいていいわけだから‥ですね‥

というわけで、面接ですごく大きい差がついたとは言いがたいです。小論勝負かも‥







2004年11月12日
子どものころ、バスの終点にあこがれていた。

大人になってからも、バスに乗ると、「あ〜このまま終点まで乗って行ってしまいたい」と思うのは、私だけだろうか。
特に昨年の後期は授業が多く、準備がままならないうちに次々と教壇に立つプレッシャーから、「ぜったい、この学期が終わったら、一日何もしないでバスに乗って、終点まで行ってやる!!」と、心に誓っていた。
‥で、春休みになって、それほど忙しくなくなったら、そんな決心は、忘れてしまっていた。

その、バスの終点に、今日、行ってきた。
バスの中で職員証を落っことしたようで、営業所から「預かってますよ」と、大学に電話が入ったのだ(恥)。
バスが産業大学前を過ぎると、もう、未知の世界だった。

いろいろなスーパー、学校、団地を見た。
終点の二つ前のバス停あたりから、少し寂しげになった。
着いた営業所は、だだっ広かった。

工場と、遠くにセブンイレブンが一軒見えた。

気分転換になった。




2004年11月10日
専門的な話になりますが‥
たった今、大学院の夜の授業が終わったところで書いているが、
‥今日はびっくりした。
話の流れで、
「フォーカシングの出始めの頃、フォーカシングの研究は、『一回のセッションでシフト(けっこう劇的な変化)が起らなければ失敗、起れば成功なんて、成功失敗にとらわれてずいぶん画一的なとらえかたでしたよね」と言ったら、
M山先生が、「いや、それはさ、最初の頃は劇的に成功してたんだよ。」と、思いがけないことをおっしゃる。
M山先生「今は、シフトとか言わなくなったよな。シフトがそれほど起らなくなったからじゃないの。心理療法は、どうも、技法が新しい(できたばっかりの)時が一番効くみたいだよ。ロジャースのカウンセリングだって、最初は、3、4回のセッションで劇的に変化してたんだよ。クライエントセンタードになってから(中期ロジャースの頃)の事例は、回数が、40セッションとかになってるでしょ。何の技法でもそうなんちゃうかな?新鮮味が大事だっていうか。一方で、エンカウンターグループなんかで言えば、繰り返し参加してる人にとっての効果も、もちろんあるけどね。」。
そこで、「え、何で、新しい技法が効くんですか?」と尋ねると
M山先生「なんでだろうね。なんでか分からんけど、セラピストにとってもクライエントにとってもその技法が新鮮だっていうのがいいんじゃないかな。」

年取った先生が、何十年と心理療法の趨勢を見てきてそうおっしゃるんだから、「出始めの技法は効く」という傾向は、そうなのだろう。
けどこれはかなり重大な発言のようにも思える。
「なんの技法をやるかが大事なのではなくて、次々と新しい技法を覚えて使うことで効果が上がる。」
ということになるではないか。
アメリカなんかで、次々と新しい心理療法が産まれては消えるのは、とても理にかなったこと、ということになる。


心理士は、あまりころころ、ベースとなるオリエンテーションを替えれるものではない。
けど、こまかいレベルで、そのクライエントにあった技法をその場で作っていくならば
こまかいレベルでの新鮮さは、保たれるのかもしれない。
フォーカシングのリスニングでも、その場の思いつきで、、「ちょっと、今、こういうことを言うのがふさわしいかどうか分かりませんが、、」と前置きして言う教示は、100%ヒットする。15年以上フォーカシングをやってきて、「その前置きの言葉つきの教示」のヒット率は、全く変わらない。

‥と、セオリーのようにそのことを意識してしまった私は、今度から、、「今、こういうことを言うのがふさわしいかどうか分かりませんが、」の教示が、どうもヒットしなくなるかもしれない。










2004年11月8日
こんなものを発見してしまいました‥↓

http://www.zakzak.co.jp/top/2004_11/t2004110604.html
「ブラジャーが、デザインやつけ心地を追求したものになってきた。ワイヤやパッドのない、薄いレースだけのブラがひそかな人気。男性の視線より自分の好きなもの、「ありのまま」をアピールする傾向という。」


「人の視線よりも、つけ心地」「ありのまま」そうでしょう、そうでしょう。
前から、そういうコンセプトでいいのではないかと思っていたのさ。
ついに私の時代が来たか(笑)。

でも買わないぞ。買うもんか。
なんせ、私がこないだ買った「寄せて上げる」下着数セットは、かなりの値段だ。
一回スペインあたりに行ってお土産を買って帰ってこれるぐらいの値段かもしれない。
こうなったら、意地でもバストアップするのだ。







2004年11月4日
オーダーメードの下着を着けて3週間になる。

その下着屋は、矯正下着というアイデンティティーなので、「一週間に一度はボディーフィッティングにいらしてください。無料ですから」と言う。
私はあまり、ボディーフィッティングつまり「寄せて上げる」ことには関心がない。というか、サイズが変動すると、また新しい下着を買わなきゃいけない。そういう意味では経済的に言えば、現状維持に越したことはない。でもちょうど、「オーダーメイドと言えど、ワイヤーが苦しい」という問題があったので、下着屋に相談に出向いた。
以前にも書いたが、私らのように痩せすぎている人間は、ワイヤーが骨に当たる感じがして痛いのだ。
それについて、下着屋の意見としては、ちゃんと肉が寄ってくると、痛くなくなるだろうとのことだった。それはまあ、そうかもしれない。
そして店員さんたちは、私をフィッティングルームに連れて行き、2人がかりで私のヌード寸法を採寸する。
なぜ2人必要かというと、1人が測り、もう1人は記録&盛り上げ役なのだ。
もし、そのサイズが前回に比べてよくなっていると、「きゃー」「わー、すごい」と盛り上げる。
3週間でバストが2センチ増えたとか、ヒップ高が1センチ上がったとか言っている。
ふーん。変化ありというわけか。悪くないことだ。
ただし、盛り上げ役の店員さんは、変動がないものについては、反応しない。
「ウエスト○○センチ」「しーん」ってな感じ。
その反応の差が可笑しい。
そう、私は前回の数値を覚えている。ウエストは1.5センチ増だ。
矯正下着と言えど、限界があるらしい。
ウシシシシ。学者の記憶力を甘く見てはいけないよ。

‥なんて笑ってる場合じゃないね。3週間でウエスト1.5センチ増って、かなりのものでないかい?^^;




2004年10月29日
昨日、珍しく「夕方」と呼ばれる時間帯に帰宅し、くつろいでいたら、外から「にゃお〜ん」と声がする。

「にゃお〜ん」??
恐る恐る、玄関ドアののぞき穴から覗いてみると、黒とグレーのだんだら模様の長細い物体が見える。
じろーちゃんの尻尾に間違いない。
「にゃ〜ん」。間をおいてまた、「にゃ〜〜ん」。
ふっと、物体が動いて、三角の耳が見える。
じろーちゃんが少し後ずさりしたものと思われる。
ドアの前に正座してるようだ。
何かい?君は、昨日来た家を覚えてるっていうのかい?
ここのマンションは、けっこう戸数が多いってのに。
それとも、君はこの時間帯は一軒一軒セールスマンのように、訪問してるんだろうか。
「にゃお〜〜う〜ん」。
駄目だよ駄目。
ここで開けたら、うちは、完璧にじろーちゃんの家になってしまう。

うちは留守がちなんだから。
君がいくら切なく鳴いたって、君を中に入れたことがあるのはうちだけじゃないってこと、
そのふくよかな身体を見れば、一目瞭然なんだからね。










2004年10月28日
昨日、「じろーちゃん」が家に来た。

よく「学校犬」とか「学校猫」とか居るが、「じろーちゃん」はマンションに住み着いている「棟猫」だ。
奴はすごい。
人が一階で、エレベーターが来るのを待っていると、彼はまず後方から人の足めがけてドーンと頭突きをし、自らの存在をアピールする。
そしてすばやく前方に回りこみ、「取った」とでもいうように、人の足を踏んで、人の動きを封じ込める。
いざエレベーターが来て、人が乗り込む段になると、奴はすぐには乗ってこない。あまり早く乗り込むと、人から追い出されてしまうからだ。だから彼は、エレベーターのドアが閉まろうとするぐらいの瞬間を狙って、すばやく入り込んでくる。
あとはその人の家まで、巧みに人の前を歩き、玄関からすべり込む。ついてきたらついてきたで、鳴いたり、噛んだりして、遊んでくれるように要求する。特に、狩猟系の遊びを極めて好む。
人の食事を見ると猫パンチをして、食べたがるので、仕方なく一応キャットフードを買っている我が家。
たいへんな猫だが、あの強烈なバイタリティーには、少し、元気をもらえる気がする。
こいつは、あまり長く家に置いていると、23時30分ごろから睡眠タイムに入り、ほとんど見ず知らずの家にもかかわらず無防備に腹を出し、ぐうぐう寝る。なので、なるべく早い時間に遊び道具で釣って、一階のロビーに置き去りにする。こっちがエレベーターで2階3階とエレベーターが上がって行くと、気づいた彼が、下から「にゃあーーー」と、切ない声で鳴く。
あのときは、かなりかわいそうだ。
でも、おそらく、あまり心配してやらなくてもよい状況だろう。
なぜなら、うちに来るのは2週間に1回ぐらいだが、奴は確実にデブっているのだ。
みんなが可愛がっているのだろう。
半野生なのに、たいそういい毛艶だ。
でも、このところ、デブになりすぎじゃないだろうか。あの運動量を上回る食事量をせしめる彼の能力には感服するが‥。「じろーちゃん」はほどよい体重を維持して、半野生っぽいたくましい「じろーちゃん」のままでいてほしい。






2004年10月22日【見上げれば半月】
通常、面接室に入ったらカウンセリングが終わるまで出てくることはないのだが、その日はクライエントさんがトイレに行くといったので、私も外へ出た。

すると、隣の学科で入試委員の『中澤先生』が、うちの事務の若い人に何か交渉しているところだった。
「あっ!!、森川さんちょうどよかった!!今一分いい,一分だけ?」私を探していたのか。なんてタイミングだろう。
「森川さんは去年地方入試に当たって、行かなかったんだよね?」
「はい、広島の地方入試が中止になったから、行きませんでした」
「だよね、だよね?それを確認したかったんだよ」。中澤先生は走って来てたのか、息がハーハー言っている。そして相変わらず、人と接するときの距離が近い。いつものように目の前で人の顔を指さしながら、「だよね、だよね」と繰り返し、
「会えて良かった!」と、笑顔で走り去った。
妙に爽やかだった。
私も「会えて良かった」とおもった。
それから5日後の訃報だ。
棺の中の中澤先生は、いつもの中澤先生とあまり変わらないように見えた。
斎場には、ロックがガンガン流れていた。
まだ40代。心臓というのは、そんなに急にくるものなのか。


平成15年度の臨床心理学科募集リーフレットに載っている学生は、中澤先生のところの、文化人類学の学生さんだ。
まだ臨床心理学科は開設前で学生がいなかったから、臨床のイメージ写真を撮るために、中澤先生が自分のゼミの学生を貸してくれたのだ。
彼らに、臨床ふうにやわらかく談笑してもらって何枚も写真を撮った。けっこう時間がかかった。

「悪いねえ」と言うと、彼らは、
「中澤先生の頼みですから」と言った。
「ゼミはどう?」と尋ねると、即座に、
「面白いっす。東南アジアの文化とか、誰もそこまで深く知らんでしょう。大学入ったとき、そんなこと勉強するなんて思ってみんかったし。でも今はめちゃくちゃ知ってる。それ考えたら面白いよね」と、彼らは言っていた。

普通は、「安らかに、ゆっくりお眠りください」と言うところなのかもしれない。中澤先生がそうされたいのなら、それが一番だけど、なるべく早くどこかに生れ変わってきて、好きな研究をしていただきたいようにも思う。
お世話になりました。




2004年10月15日【教室変更】
心理学のページにも書きましたが、経営学部の心理学の授業をもう一度教室変更し、中央会館52番教室としました。前回も移動したので、またかという感じでしょうが、ビデオをスクリーンで見れる部屋という希望が多くでたので、このような措置にしました。

伝達がうまくいくかどうか不安です。掲示を見ない人もいますのでね。なるべく友達同士伝え合っていただければ助かります。

あと、気になることとしては、下着が苦しいです。(←まだ言うか)












2004年10月12日(月)新しい下着が届いた


私は表向き、この3連休中に論文を書いていたことになっている。しかし実際には、3日間まるまる遊んでしまったので、頑張って遅れを取り戻さねばならない。

けれどなかなかはかどらない。
その原因の一つは、とある物体(4枚組み)が、いちぢるしく自己主張しながらと、私の胴の周りを取り巻いているからだ。
必ずしも苦しい部分ばかりではないが、しかしやはり総体的に苦しい。

そもそも1ヶ月前、下着が合わない、合わないと言っていたら、事務の若い人が私を
オーダーメイドの下着屋にひっぱっていった。
フィッティングルームに入っていると、店員さんたちがうちの若い人に
「大丈夫よ。センセーを絶対きれいにしてあげるから」
と、ささやいている。
学者に胸は必要ないので、とにかくサイズが合う下着でありさえすればいいわけだが、どうやらそれは矯正下着でもあるらしい。
矯正下着。寄せてあげるというやつか。
私には寄せて上げる肉も無いのに、いったいどうするのだろうか。
と思っていたら、
もものあたりから私の薄い肉をたくし上げてきて、背中の真ん中あたりで指を止め、
「ほら。こんなに」と言う。
そして、「これは、胸の肉です。」と真顔で言い張る。
そんなはずはなかろう。それはさっき、ももから持ってきた肉である。
「これを胸に戻します。ほら!」

‥その文章の流れを思い出すだけで、おかしくてたまらない。
そして、新しい体験に目がない私は、好奇心から清水の舞台から飛び降りたというわけだ。

でもやっぱ苦しい。いや、下着屋の名誉のために言うが、ふつうの人にとっては、そんなに苦しくないものと思われる。むしろかなり快適かもしれない。
実際、私でも、ある程度肉がついた下半身に関しては、苦しくもなんともない。
しかし、肋骨が浮き出ているような人間にとっては、物体がアンダーバストに当たり続けているというだけで
骨に響くのだ。
そもそも私たちのような人間はブラジャーなんて必要ないんじゃないかろうかと思うが、一応、社会的に、しないわけにはいかない。
もしも、痩せた人間ばかりであったら、ブラジャーというものは存在しなかったと思われる。

人間個性が大事とか言うけれど、文化はマジョリティーを基準に成り立っているから、
「普通」が一番だ。それを、声を大にして言いたい。



2004年10月7日(木)時代
「われわれの命運をかけた会議へぜひご出席を!」と、メールが回ってきた。(ご心配なく。ご心配していただくような状況があるわけではない)。
何が言いたかったかというと、私は産まれてこのかた、メイウンとは、「明雲」だと思い込んでいたのだ。「明るくなるか、かき曇るかの分かれ目」だ、と。

思い間違いと言えば、こんなこともあった。
中島みゆきの「時代」という歌がある。
「め○る め○るよ 時代はめ○る 」というフレーズ、これは、「よ」のところに一番、アクセントがあるように聴こえる。

「め○る め○る」「よじだいはめ○る」
‥って何だろうと、子ども心に考えた結論は、


4時56分、4時57分、4時58分、4時59分、4時00分、4時01分‥・。

4時台はめぐる。

4時台の夕焼けになるか、ならないかの美しい空のイメージ。
ああ、なんだ、そうだったのか。きれいな歌だなあ。

この間違いに気づいたのは、完全に大人になってからだった。
以来私は、歌詞カードみないと歌詞が分からない曲を、おいそれと好きになれなくなった。


2004年10月4日(月)たまには行ってみるもんだ美術館

きのう、福岡県立美術館のポール・デルヴォー展に、連れられて行った。
ポール・デルヴォーの油絵はたいてい、青白い肌の裸の女性たちが、幻想的な画面の中に配置されている。
どの絵見ても、ポール・デルヴォーふうの女性の顔というのがある。
というので、行って興味がもてるかどうか分からいなあと思っていたけれど、面白かった。
彼の油絵は、女性って素敵、という、普遍的なところを書いているように思えた。
油絵とは別に、おびただしい練習のデッサンがあって、モデルや家族、知人を書いていた。
デッサンの段階では、ほんとに、その人がそこに居るように、リアルに一人一人が描かれていた。ポーズや表情、姿勢に個性がある。
ダニエルというショートカットの、ボーイッシュで少しアンニュイな感じのモデルさんが気に入った。

85歳になる学者を描いた肖像画も良かった。
製作段階で絵をみた学者の反応について、ポールは
「実験室にありもしないコンロを二つ描いてあるとか、胸の赤いバッジが大きすぎるということで気にいらないようだった。絵は絵であることを理解していただけないようだった」と振り返る。
で、確かに、油絵の学者の胸には、バッジの大きさを修正したようなぐるぐる丸の筆の跡があった。
結局、学者は、出来上がった絵を見て「まあ、悪くないね」と3回言ったということから、「気に入ったものと思われる」んだそうだ。
どこの国でも、学者は言いたいこと言うし、反応も好き勝手なんだな。ポール・デルヴォーにお疲れ様でしたと言いたい私だった。

あと、入り口においてある日本人の方の「空き屋」という展示が良かった。

その後、教材の本をやたら買って帰宅した。

2004年10月1日(金)今の季節

朝晩、何気なく歩いていると、キンモクセイの香りがする。
もうそんな季節だったんだな、と思う。
梅も桜もあじさいも、つぼみの段階で目をひくから、花が開くのを心待ちにする。
けれどキンモクセイは、毎年、いつの間にか咲いていて香ってくる。
期待していなかったプレゼントみたいで、嬉しい。

2004年9月29日(水)遠慮はいらない

今日は、台風ということで、みんな傘をラッパにしながら登校した。
もちろんびしょぬれだ。
今、移動も困難ならしく、窓の外を通る学生がキャアキャア言っている。
福岡再接近は正午とのこと。
台風、どうせ来るなら中途半端に来ずに、真っ向から来てほしい(学校が休みになるくらいに)。
意外と台風、嫌いじゃありません。
どんと来い、台風。

2004年9月27日(月)古楽の値段

昨日、アジア美術館のロビーでフォーカシング研究会(というか、寄り合い)をしていたら、いきなりバロック音楽のコンサートが始まった。
ラッキー、ということで、みんなで聴いた。
リコーダーの物憂げな、澄んだ響きがよかった。
バロックダンスがまた、控えめな動きで綺麗だった(衣装も素敵)。
毎年この時期、福岡は古楽音楽祭というものが行われているらしい。

終わったあと、チェンバロに子どもが群がって弾いていたので、
便乗して、触らせていただいた。
チェンバロの弾き心地は、ぷち、ぷちと何かを押す感じで、とても心地よい。ピアノほど音も大きくない。

以前から知りたかったこと(なかなか調べても分からなかったこと)を、演奏者の方や、楽器を作る方に尋ねてみた。

☆チェンバロの値段
コンサートで使われた二段鍵盤のチェンバロ‥250万円。
一段鍵盤で、ごく小型のもの‥80万円(テーブルに置いて弾くような形状)。
松尾古楽製作所(だったと思う。松尾さんであることは間違いない)が中間市に工場を持っていて、注文に応じて作ってくださるとのこと。
松尾さんは、各年代のチェンバロ、ピアノを製作している。
ちなみにチェンバロの調律はというと、
何曲か弾いただけで音程が狂うので、演奏者が自分でチューニングをするとのこと。(ギターのチューニングと同じとはいえ、鍵盤があれだけあるから大変そう)

☆リュート
伴奏も独奏もする弦楽器。ちょうど琵琶のような形で、なんとも綺麗。音も繊細だ。
これが40万円。中古で20万円ぐらい。

☆ギター
ギターといっても、ウクレレの原型になった楽器ということで、ウクレレサイズ。値段を聞き忘れたが、見た感じもきれいな楽器。
演奏者の森さん曰く、
「弦は売ってないから、つり糸なんですよ」
‥へ?
「一番低い弦は、確か、本マグロ用のつり糸です」
‥(笑)音からは想像できません。いい音でした。

ということで‥。やっぱ、チェンバロやリュートは、買うにはうんと勇気がいる値段ですね。^^;
やるなら、小さくて素敵なギターかなと思いましたが、自分でつり糸買ってきて弦を張るのって難しそう。古楽の方のご苦労が偲ばれるような気がしました。
教えてくださった皆様、ありがとうございました。

2004年9月25日(土)太陽は自分の周りを回る

国立天文台の調査で、全国の小学4〜6年生のうち4割の人が、太陽が地球の周りを回っている、と思ってる、というのがあった。何日か前のニュースで。
地動説ってのは、単なる理科の知識にとどまらず、
「自分に見えるものが全てじゃない」って思わせてくれるような、心理学的教養として、大事な知識じゃなかろうか、と思う私であった。

2004年9月22日(水)やっぱり、そうでしょ。

昨日、「ものしり一夜漬け」というテレビを見ていたら、
回転寿司とパチンコは、脳をリラックスさせる効果があると言っていた。
やはりそうか。
眼球運動の効果はあなどれない。
パチンコにはEMDR的な効果、つまり眼球運動によるストレス処理の効果があるということだろう(http://www.emdr.jp/about.htm)。
物が激しく動くようなコンピューターゲームも同じだろう。
昔私が、「ゲームしながらだったら考えごとが進む」って、言って回ったら失笑された。
ま〜確かに昔は遊びすぎてたからね‥。

これからは、パチンコで困ってる人がいたら、
「パチンコにはまるのも、コンピューターゲームやるのも、同じ効果があるみたいだから、ゲームに変えてみれるなら変えてみたら」、ってとりあえず言うことにしよう。
(もちろん、お金に困ってない人は、パチンコのままでいいんだけど)。

2004年9月19日(日)ホームページ初心者、悪戦苦闘

9月17日に学外公開となり、家のパソコンで
このホームページを見てみたところ、
字がズレにズレてまして(@@)
修正がたいへんです。
ホームページビルダー8を使って作っているのですが
地の文の行のとおり、リンクも写真もぴたっと左寄せ
しないと、
他のパソコンで見たときに地がずれるようです。

私は、レイヤー枠に字を乗っけて、レイヤー枠を
あちこちにちりばめていたのです(で、作成したときの
パソコンで見てちょうどよい配置にしていたのですが)
。そんなのは駄目みたいですね。
うーむ。
「どこでも配置モード」とか言うから、
いかにも自由に配置できると思ったけど
できないのね。残念。

2004年9月17日(金)今日、オープンしました。

皆様こんにちは。
今日、HPを公開しました。よろしくお願いいたします。
それで、今日から日記を書くことにしましたが、
うーん。続くのだろうか。実は、このページが一番、不安です^^;。
自慢じゃありませんが、一度も、日記というものが3日以上続いたことがありません。

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