SPECIAL COLUMN

各業界の最前線を走り続ける“九芸卒”の先輩たちから、熱いメッセージ。

絵画を修復することで 画家の想いを 未来に残していく。

  • 油絵保存修復家堺 智子
1995年卒

「修復家」という職業は、日本ではあまり聞き慣れないかもしれない。堺さんによると、「修復」を専門とする修復家たちが登場したのは18世紀後期頃からとのこと。それ以前は、その時代の画家たちが、修理や描き直し(上塗り)を行っていたそうだ。時間の経過や置かれた環境の影響により現れた損傷が進まないように、劣化している部分には取り除ける材料を使用するなどして、ゆっくりと補強する。そして保存する環境を整え、継続的なメンテナンスを行っていくのが絵画の保存修復の仕事だ。堺さんは、九州では数少ない油絵専門の修復家として長年活躍している。

たくさん観る、たくさん描く。大切なのはこのふたつです。

「私も姉も、小さな頃から絵を描くことが好きでした。姉は美術教師をしています。二人共とにかく絵が好きだったので、高校の頃から画塾へ通ったり、デッサンなどを勉強していました。また、姉が油絵を描いているのを見ていて、油絵を本格的に勉強したいと思いました。高校の夏休みのセミナーで、初めて九芸のことを知りました。色々と調べていくうちに、美術学科で絵を学びながら学芸員や教員の免許をとれることが分かり、そのような大学が九州ではここしかなかったので、進学したいと思いました。」

インタビュー中に何度も出てきたのがお姉さんとのエピソード。「いつも姉が前にいてくれたから。」同じように絵が好きな3つ違いのお姉さんの存在が、堺さんにとって大きな刺激になっていた。そんなお姉さんに触発されたこともあり、在学中にはフランスやスペインなど海外の美術館をめぐる旅へ。多くの作品に触れ、美術の見聞が広まったと話す。

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「同じ美術学科の友達3人との旅でした。今のように簡単に海外旅行に行ける時代でもなかったし、まだ本物の名画に触れた経験が少なかった私たちにとって、とても刺激的な時間でした。特にルーブル美術館は印象に残っていますね。一番驚いたのは、現地の幼稚園や小学生の小さな子供たちが授業の一貫で絵を鑑賞していたり、スペインの建築家ガウディの素晴らしい建築物を目にしたりしたことです。常々、大学の先生方にも、外に出て多くの作品に触れ、たくさん描きなさいと言われていました。」

その後、学芸員の資格を取るために長崎市の県立美術博物館で実習を受けた堺さん。そこで開催された修復プロジェクトに参加したことが「修復」との出会い。堺さんは学芸員と教員の免許を取得したものの、以前から「修復士」の仕事に興味を持っていたこともあり、修復の勉強を本格的に始めることに。5年におよぶプロジェクトではヨーロッパの作品の修復に携わった。プロジェクトで一緒に学んでいた竹ノ下 磨須子さんとともに工房を立ち上げてから、国内の作家さんの作品も手がけるように。長崎県立美術博物館が閉館してからは、長崎県美術館の開館(平成17年4月)準備にも携わった。

「外国にはありますが、日本に“修復士”という資格はありません。大学で教えているところも少なく、残念ながら油彩画の修復家は多くはないです。」

「修復士」の仕事は、作品の傷みや症状に合った適切な処理や修復を施し、次世代に残していく貴重な仕事だ。アートシーンにおける難しさとやりがいを尋ねた。

「まずは、どんな風に傷んでいるかを観察して、保存の方法や展示の方法に合わせて、作業工程を学芸員さんと相談していきます。一人ひとりの作家さんがいて、作品があって、その環境も違えば傷み方も全く違います。自分が油絵を制作していたからこそわかることも多いです。目視だけではなく、レンズを付けて見たりするので、作家の息づかいまで感じられます。」

堺さんによって新たに息を吹き込まれた絵画がきちんと額装され、展示室に運ばれていく時にやりがいを感じるという。

最後に、これからやってみたいこと、そして学生たちへのエールを伺った。

「これまでも五島列島のカトリック教会の絵を持ち帰って修復したり、体育館にあった大きな絵を修復したりしたことがありますが、今後も大きなプロジェクトに関わってみたいという気持ちはあります。また、学生さんに『どうしたら修復家になれるのか』という質問をよくされるのですが、修復家は美術だけでなく、溶剤や顔料の分析など化学的な知識が必要になってくる仕事です。ぜひ修復を学べる課程のある学校に進学することをおすすめします。美術を学ぶ学生さんたちには、たくさん作品を観てください、そしてたくさん絵を描いてくださいとお伝えしたいです。」