SPECIAL COLUMN卒業生対談・インタビュー

各業界の最前線を走り続ける“九芸卒”の先輩たちから、熱いメッセージ。

きっかけは、九芸時代の先輩からの 「男性ヌード撮ってこいよ」の一言。

  • 写真家野村 佐紀子
1990年卒。1967年山口県生まれ。1991年より荒木経惟に師事。1993年より東京を中心にヨーロッパ、アジアなどでも精力的に展覧会をおこなう。主な著書に「裸ノ時間(平凡社)」「愛ノ時間(BPM)」「夜間飛行(リトルモア)」「黒闇(Akio Nagasawa Publishing)」「nude/a room/flowers(match and company,inc.)」など。

国内外で精力的に展覧会や作品集出版を行い、その名が世界に知れわたる写真家 野村佐紀子さん。荒木経惟氏の唯一の弟子としても有名だ。男性ヌードの草分け的存在とも言える野村さんだが、その始まりは九芸時代の先輩のからかい半分の一言だったとか?普段はなかなか見る事のできないレンズの反対側の素顔に迫ってみた。

生活より写真が優先。好きであることを大事にする。

今は「撮ることが日常」という野村さんだが、昔は特別写真が好きな訳ではなかった。映像全般に興味はあったので、芸術系の大学に進むのは決めていたが肝心の学部までは頭になかった。

野村

なにか選ばなきゃいけなくて、なんとなく写真にした。今考えると無謀ですよね

行き当たりばったりの感じがするが、野村さんがすごいのはその後の迷いのなさ。選んだからにはカメラマンになろうと入学した当初から決めていたらしい。

野村

九芸の授業で一番覚えているのは最初の授業。50mmのレンズを渡されて、人を撮影してこい、と。街に出て声かけて写真を撮らせてもらうんです。100人くらい声かけたかな。その時、人を撮影する大変さ、距離の近さを実感できた

九芸でカメラや写真にふれる日々を重ね、野村さんはどんどん写真が好きになっていった。

野村

ユージン・スミスのお弟子さんだった先生がいて『カメラを必ず持っていけ。フィルムは撮り切らず4〜5枚残して持って歩け』と言ったことを今でも守っています

当時、写真をやる女性はまだ珍しく、200人ほどいる学部の中でも4〜5人くらいしかいなかった。工業高校の女子生徒のような感じだ。数少ない女子を貴重がってか、おもしろがってか先輩がある日、野村さんに言った。『男性ヌード撮ってこいよ』

野村

言われたから、ハーイって感じで。からかわれていたのかもしれないですね。一人撮るとまた次のモデルさんが現れてまた撮って、という感じで今も続いている

野村さんはいい意味で流される人だ。自らの強い意志で決めてかかるのではなく、その時自分の目の前にあったものに手をのばし、つかんだからには離さず、相手も気づかないくらい自然に自分の行きたい方へと誘導している。そんな感じがする。それは卒業後の就職においてもそうだ。

野村

よく行く喫茶店でたまたま隣でお茶していた人が東京のスタジオで働いている人で、話をしているうちに『うち来る?』と誘われて

そして東京へ。スタジオで1年働いた後、弟子は取らないことで有名だった荒木経惟氏にまたもや無謀にも飛び込みで弟子入りを志願。しかし、それが叶ってしまうのが野村さんだ。
 「いろんな人の出会いにうまく流されてきた」と野村さんはさらりと言うが、ただ待っていても出会いや流れはやってこない。そういう環境をつくるのは自分だ。それは言葉でいうより難しい。しかし、それを野村さんは本能で嗅ぎ分け、余計なことを考えず心と体が向く方向へ進んでいるのかもしれない。

野村

私は撮る時にテーマというのをつくらない。自分が考えただけの狭い世界に陥らないように。意図的になにかを撮るというより、撮る事が私にとって日常。昨日は何も思わなかったものが今日きれいと思ったら撮る。だから、耳を澄まし、目を凝らし、ちょっとした変化にも気づけるようでありたい。極端なことを言うと、いいシーンがあってもそこにカメラがなければ私には必要がないもの

生活より写真が優先だと言う真の写真家 野村さんに九芸を目指す高校生へメッセージをもらった。

野村

好き以外にない。好きであることを大事にしないと続かない。続かないと何もはじまらないから。美大は特殊な人が集まる特殊な大学だけど、総合大学の九芸は芸術以外にも色んな人がいてその凸凹感が圧倒的に面白い。写真をやる人間にとって、特殊になりすぎず世間が身近にある環境はとても良かったと思います

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写真集『nude/a room/flowers』より / 写真集『黒闇』より

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