SPECIAL COLUMN

各業界の最前線を走り続ける“九芸卒”の先輩たちから、熱いメッセージ。

美術やデザインが好きな奴だけが集まっている、それが九芸の魅力。

  • アートディレクター日髙 英輝
  • クリエイティブディレクター・コピーライター中村 聖子
[日髙 英輝]1985年卒。宮崎県生まれ。㈱ドラフトを経て、2001年グリッツデザイン設立。グラフィックデザインをベースに、企業・商品のブランディング、広告、パッケージ、Webなど多領域で活動中。主な受賞として「日本グラフィック協会新人賞」、「日経広告賞グランプリ」、「ニューヨークADC賞銀賞」、「世界ポスタートリエンナーレ・トヤマ銅賞」など多数。
[中村 聖子]1987年卒。西鉄エージェンシーを経て、2004年、箭内道彦率いる風とバラッド設立に参加。2011年、中村聖子株式会社設立。主な仕事にキリンメッツ、KOSEオレオドール、リクルートゼクシィ「芸人プロポーズ」、三菱自動車eKワゴン「ウツクシeK」等。2001年クリエーターオブザイヤー特別賞、ACC特別賞、TCC最高新人賞、タイムズアジアパシフィック広告賞金賞など受賞多数。

日髙

この仕事や美大を目指したきっかけをよく聞かれるんだけど、デザインを目指す奴は幼少の頃から絵がうまかったり図工が5だったりする人間ばかりで、僕も多分に漏れない小学生だった。偉人の肖像画にラクガキしたり、クラスメイトや先生の似顔絵を描いたり。それが高じてクラスの広報担当に任命されて、壁新聞をつくってね。だから、デザインという呼び名は知らなかったけど、昔からなんとなくそんな仕事に就くんだろうとは思っていたね。

中村

私も幼い頃から絵を描くのが好きだったんですよ。小学校の卒業文集に「イラストレーターになりたい」なんて書いちゃって(笑)。それでなんとなく、中高とそっちに進みたいと思っていて。そこに進んだ先にどんな職業があるのかも知らないまま、絵の勉強をできたらいいなという感じで九産大に入学しました。

日髙

実際、高校の頃までは、石膏デッサンに自信を持っていたんだけど、入試の時に隣の人の絵を見たら僕の100倍くらいうまくて(笑)。その時点で、絵のうまさで競争してもしょうがないなと思ったね。それからは広告に興味が湧いて、その辺の実習授業は真面目に出ていたなぁ。広告というものは、目的があってつくるものだから楽しかった。この頃から、伝えるって仕事に興味があったんだろうね。だから写真の授業も楽しかったよ。写真専攻を取ってさ。

中村

私も写真の専攻は取りました。立派な暗室があって、自分で現像するんですよね。

日髙

そうそう。あれは楽しかったね。モノクロの現像とか。僕は卒業制作で「Manual of Eiki Hidaka.」っていう自分をテーマにした本を3冊つくったんだけど、その時には写真を自分で撮って現像して、文章も書いて、編集デザインまでやってね。当時の時事ネタも織り込んだりして、結構硬派なものをつくったな。中村さんはどんな卒制をつくったの?

中村

私もその頃から広告的なものが好きだったので、アンディ・ウォーホールの論文を書いたんですよ。絵画的なものより、コミュニケーションに近いアートに惹かれたんですよね。でも、学生時代は「中村さん、アイデアはいいんだけど、デザインは仕上げをもっと丁寧にね」って言われるくらい雑な性格で(笑)。今思うと、それが今の仕事に向かう原点だったのかもしれないですね。

日髙

就職にしても、僕らの時代はちょうどバブルが始まる前夜で、学生は売り手市場だったよね。会社に入るのは今よりはずっと楽だった。僕は卒業の頃には、まず東京に出ようとだけ決めていたな。デザインをつくっていく上で、東京は発信基地だったから。福岡で見ないようなB0のポスターとかテレビのチャンネルだっていっぱいあったし。特に僕は映画が大好きだったから、映画館の数が多くてうらやましかったんだよね。当時はレンタルビデオ屋とかなかったからなあ。

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中村

私は大学を卒業して、3年ほどパッケージの企画やデザインをやりましたね。ただ、学生時代の特別講義で西鉄エージェンシーの方の話を聞いて以来、ずっと広告業界で働きたいと思っていたんです。そしたらたまたま西鉄エージェンシーの中途採用が出ていて、すぐに飛びつきましたね。それから仕事でコピーを書いて、ああ、面白いなって。賞もいただいたりして。コピーの方が自分に合っていたんですね。ただ、コピーを書くにあたって、人と違う視点を持つことができたのは、間違いなくデザインを学んだからですね。昔から人に興味を持ってもらったり、喜ばせたりすることが好きで。コミュニケーションからデザインを考えるのが好きだった。

日髙

僕もそうだな。どんな方法であれ、受け取った人や関わった人が幸せな気持ちになれたらいいなと思いながらデザインをしている。よく話すんだけど、デザインの仕事は「好きな彼女にプレゼントを渡すこと」に似ているなと思う。好きな子に何をどのタイミングで、どういう体裁で渡せばいいかというのを考える仕事。僕自身も、昔からそういうことを考えるのが好きだった。彼女がそれを開けた時の「わぁー」っていう表情が見たくてね。それを常に考えながら仕事しているな。

中村

そうですよね。デザインとコピーって、伝えたいこと、言葉をどんな風に表現するのかという点で同じだと思います。一目でわかるデザインとか、一言で表すコピーとか、スピード感を持って相手に伝えて、そこに感動が付いてきたら、それが一番深く伝わると思います。

日髙

言葉のデザインだよね。僕も最初から表現するんじゃなく、まずは言葉が重要。最初に言葉ありきで、そこからものを発想してイメージを固めていく。それだけでは表現できない情緒的なものもあるけど、デザインは言葉そのものだと思っている。

中村

うん。だからこの仕事は、社会や人間関係をうまく繋ぐためのものだと思っています。どうやったら伝わるだろうとか、楽しんでもらえるだろうとか。そういうことを考えることが、デザインやコピーに繋がっていく。広告の仕事は、コミュニケーションそのものだと捉えています。

日髙

本当に伝わるコミュニケーションをやろうと思ったら、その工程を辿らなきゃいけないよね。ただ、それは社会に出ればだんだんとわかるものだから、これから大学生になる若い人にはそんな理屈より自分自身が得意としていることを大学で突きつめて欲しいね。それが若さだと思うし、可能性だと思う。理屈なんて、僕も大学生の頃は考えていなかったし、大人になったらどうせ考える時が来るんだから。それに、いきなりわかったようなことを学生さんに言われても腹が立つしね(笑)。

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日髙氏作品 ZEROHALLIBURTON(左上) GReeeeNロゴ(左下) | 中村氏 キリンビバレッジ「KIRIN Mets」テレビCM(右上・右下)

中村

そうですよね、大学に行っただけではデザインの理屈なんてわかることは限られていますよね。確かにそれよりも、人との触れ合いや自由な時間を大事にして欲しい。その4年間が、人生で一番自由な時間なわけですからね。

日髙

そうそう。ダラダラも含めて本当に自由な時間だよね。僕も大学時代に知り合った人間とは未だに付き合いがあるし、出会いは大きいね。サークルなんかの課外活動にも変な奴らばかりいて、本当に楽しかった。

中村

日髙さんは何サークルだったんですか?

日髙

美術部。いつも楽しいことや飲み会をやっているって噂を聞きつけて入部したんだよ。そしたら、本当に楽しくて(笑)。僕の大学4年間がサークル活動を中心に回っていった。学園祭で本格的なピザ屋を出店したり、店舗の外壁やメニューのデザインを任されたり。ステージの舞台装置も作ったりした。そういう課外活動のおかげで学校生活が充実した気がする。授業だけでなくサークルも、大学の大事な側面だったね。

中村

自分で選びさえすれば、何でもできるんですよね。好きなことがあるならとことんやればいいし、やりたくなければやらなければいい。

日髙

そうだね。好きなことを仕事にできる職種って少ないと思う。スポーツ万能な奴だったらスポーツ選手、音楽が好きだったらミュージシャンとかね。ただ、どれも食べていくには狭き門だよね。その点、美術が得意な人間には様々な職種が用意されている。門戸が開いているよね。絵が好き、絵を描くことで人を喜ばせるのが好き、とか思っている人が選択肢として美術系の学校を受けるのは大正解だと思う。

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中村

入り口は絵が好きというところかもしれませんが、入ってみると大きな世界が広がっているのが大学なり社会ですよね。最初から最後まで絵だけを描き続ける人もいるでしょうけど、意外と珍しいと思います。絵を描くその先、自分が何をしたいのか。誰に見せたいでもいいし、誰かを幸せにしたいでもいい。その辺に少しずつ目を向けていくと、充実した大学生活になるんじゃないのかな。

日髙

確かに、本質的に自由になれる大学生活という時間は、今の自分になるための過程として大きな意味があった。もったいない時間の使い方もしたけど、それも含めて自分に必要な4年間だったと思う。だから、その時期に何を見てきたか、誰と話したかが重要だね。当時の出会いや見聞が、今の自分の肥やしになっていると実感できるから。

中村

不思議と、大学のどこにいても周りに同じような人たちが集まってくるんですよね。自然と会話も濃度を増していくし、情報も欲しいものがスッと入ってくる。みんな絵が好きとか、似たような理由で入学しているから、当たり前ですけど。

日髙

結局それなんだよ。九産大芸術学部の魅力はそれに尽きる。絵が好きって奴らだけが集まることがメリットだよ。九州圏全域から、美術好き、デザイン好きが集まる。そしてみんなが好きな世界を語り合う。それが九産大の一番の価値だね。みんなが同じ方を向いている集まりというのは、滅多にあるものじゃない。実はすごいことだよ。

中村

確かにそうですよね。もちろん、社会に出ると必然的にそうなるんですけど、その環境が自由な時間とともにあるのはすごいことですよね。まあ、変な人は多いですけどね(笑)。

日髙

そうそう。僕の時代も変な奴らばっかりだったよ。松尾スズキ(大人計画)とかヒキタクニオ(作家)とかね。

中村

おお、みなさん同期のデザイン科なんですか?

日髙

そう。当時は、こんなことになるとは思っていなかったよね。特に松尾とは学籍番号も近くて仲が良かったし。当時、演劇ブームが来ていて、あいつも演劇研究会に入っていたんだけど、その公演のパンフレットを作ったりしていた。それから大学を卒業して、僕が上京して2年ぐらいたった頃かな、下北沢を歩いていたら、前からフラフラと松尾が歩いてくるの。「お前、何でこんなところにいるんだよ!」って(笑)。

中村

あはは。お互いの所在を知らなかったんですか?

日髙

そうなんだよ。それからよくよく話を聞いてみると、劇団をやっていて、今日そこの劇場で公演やるから来てくれよってなった。なるほどって思って劇場に行ったら「大人計画」って看板に長蛇の列ができていて、なんじゃこりゃって(笑)。劇も本当に面白くてね。今の活躍には本当に驚かされるし、刺激になるよね。

中村

本当に自由ということですよね。デザイン科に入って広告をつくってもいいし、演劇や作家をやってもいい。将来どうなるかをすぐに決めなきゃいけないわけではないし、実際、働きだしてから学ぶことの方が大きいですからね。だからこそ、学生の皆さんにはあの時間と空間を謳歌して欲しいです。

日髙

うんうん。きっと今でも九芸は、変な奴らが集う場所なはずだからね(笑)。